創るということ

11月23日 「創るということ」 (パルテノン多摩小ホール)

●Time Table●
13:00−14:30
15:00−16:10
16:30−18:00
春・音の光
紅い花
トーク 佐々木昭一郎氏×塚本晋也氏(映画監督)

春・音の光——RIVERS・スロバキア
1984年/NHK・チェコスロバキア国営テレビ共同制作/1時間30分
 
制作=榎本一生/イヴァン・クラーリック
作・演出=佐々木昭一郎
撮影・照明=中野英正
録音=鈴木清人
効果=織田晃之祐
音楽=チャイコフスキー(演奏:スロバキア交響楽団)
編集=松本哲夫
出演=中尾幸世、オンドレイ・グリアシ、ラド・レンドル
 
春・音の光
 
[解説]
 『春・音の光』は、1981年2月、モンテカルロ国際TV祭で誕生した。私は審査委員長として招かれ、審査員は各国からの7名。スロバキアのイヴァン・クラ−リックと私は同世代で、すぐ友達になった。7人は、お互いが「in Jail=監獄だ」という共通の「被害者意識」で親しくなる。1週間朝から晩まで90分作品を毎日7本見るのだ。私はイヴァンに話しかけた。いきなり政治の話はよくない。冗談から入った。「どうだい、レッド・ラディッシュ(red radish=赤かぶ)は?」=表は真っ赤だが中身は真っ白=ソ連共産党支配下のチェコスロバキアの民衆の心。イヴァンも冗談で切返してきた。「フロイドム!」。Fluidom=大傑作。作品を大評価する時に使うラテン語。豊饒なる芸術作品こそソ連支配下の民衆の力、と言うこと。以来、イヴァンと私は挨拶がわりにフロイドムを使った。また明日、と言う時も。
 プラハには2人の親友がいる。1人は『春・音の光』でスロバキア側をバックアップしたチェコテレビのヨーゼフ・ヴァネックで、テレエクスポートというビジネスセクションのチーフ。もう1人は私のチェコでの全作品の音楽監督で名ミキサーのズデネク・ストロペック。彼は『八月の叫び』でミキサー兼レストランのピアニストを演じた。奥さんのイトカは私の3作品の助監督だ。2人とも政治性を拒否し、腕一本でやってきた。
 チェコ洪水のさなか、つい最近、彼は、「在チェコ日本国特命全権大使」になれと速達をくれた。「チェコ市民の署名を集める。日本大使は知らないがプラハ市民は君を知っている。合作をここで5本も創った男は世界の何処にもいない」。同じことをローマでも言われたっけな……『四季・ユートピアノ』受賞の翌年、RAIのナマ放送に出た時だったな……。政治と文化の混入は避ける日本と違い、民衆は政治と文化を分けない。ビロード革命も民衆からわきあがった。日本国特命全権大使でプラハに着任する夢を、彼の手紙を読んだ夜、私は本当に見た! 嘘から出た誠。 (佐々木昭一郎)

紅い花
1976年/NHK制作/1時間10分
 
制作=近藤晋
演出=佐々木昭一郎
原作=つげ義春
撮影=当間利男、上原康雄、橋本和憲
音声=伊藤孝久
効果=岩崎進
音楽=池辺晋一郎
美術=稲葉寿一
出演=草野大悟、嵐寛寿郎、宝生あやこ、沢井桃子
 
紅い花
 
[自作を語る]
 「川」を前方に見据えた。力を内側に貯め絶対に逃がさぬよう「川」を目的に『紅い花』を創った。スタジオ2日、ロケ1日、都内半日、フィルム半日、計4日の真冬の仕事だ。編集4日、音入れ2日。主役は中尾幸世を予定したが、『夢の島少女』が内外で弾劾され、職業役者以外厳禁だ。さらに力を内側に絞った。川と線路は16ミリ。橋本和憲の撮影。名場面だ。
 ***
 12月の暁、私は橋本カメラマンと二人でまず都電の荒川車庫駅から始発で箕輪に向かった。運転手に頼みこみ、電車先頭の真中の窓を開けてもらった。橋本君への注文は簡単だ。「地面にカメラを向け動かすな」。彼は多分、10ミリか5.9のレンズを使ったと思う。ぶれない。箕輪にさしかかるカーブで真っ正面から朝日が昇って来た。ご覧の通りだ。箕輪に着き、そのまま都電の移動撮影は終わった。地下鉄で木場に行き、材木屋の前にあった艀を1万円でチャーターした。船頭は艀とりがうまかった。橋本君には艀の先頭に寝そべり撮りきるまで腹ばいになってもらった。「水面から目を離すな。写真機を動かすな」極寒の艀で腹をこわした橋本カメラマンは翌日入院した。たとえ鉄人でも腹をこわしただろう。
 ***
 つげ義春の原作に私の「川」を強靭にこじ入れた70分だ。音楽は、音響効果の岩崎進と私で全曲決めた。テーマ音楽はドノバンのRiver Song。岩崎進が偶然見つけた曲で、水面に張り付き滑走しどこまでも行く川と都電の線路にふさわしい。他の曲ではダメだった。水面から溺れて沈んでしまう。
 モーツァルトのキラキラ星変奏曲の歌はドノバンと少女のものが一番で焚書の場面に使った。本屋の青年が少女からもらったお札を眺めるショットには、岩崎進がブロッコフルートを吹き、私が下手なギターを弾いた。狐面葬列は岩崎進が口笛で賛美歌を吹き、変形し響かせた。少女の滝の場面ではジョン・デンバーの「ロッキー・マウンテン・ハイ」のソロを使い、少女の力にした。ギターのソロは盲目のカントリーウエスタン奏者ワトソン。「マック・ザ・ナイフ」はブレヒトの「3文オペラ」のクルトワイルの曲だ。
 ***
 前年開始のNHK「土曜ドラマ」シリーズで企画したこの「劇画シリーズ」は3本だ。一晩で企画とシノプシスを書き3本とも演出を狙ったが駄目だった。テーマ音楽は池辺晋一郎。制作担当の近藤晋は池辺に3本共通のテーマを依頼。しかし、『紅い花』には使わなかった。脚本も音楽も私だ。タイトルは演出だけ。しかし私は、創れれば名前などどうだっていい。草野大悟、少年、嵐寛寿郎、宝生あやこ、撮影の上原康雄、当間利男、橋本和憲、録音の伊東孝久、助監督の富沢正章らが『夢の島』で弾劾された私を弾ませた。徹底して「川」を前方に狙った。 (佐々木昭一郎氏の文章より抜粋)

●ゲストの紹介
佐々木 昭一郎(ささき しょういちろう)氏(テレビマンユニオン契約演出家)

 1936年東京生まれ。立教大経済卒。60年NHK入りラジオから出発。63年処女作『都会の二つの顔』が記者会賞年間最優秀作品賞/翌年再放送で芸術祭奨励賞。65年『おはよう、インディア』で再び記者賞同賞/翌66年再放送で芸術祭大賞。同66年『コメット・イケヤ』で世界最大規模の歴史と伝統「イタリア賞(PRIX ITALIA)」グランプリ。脚本の寺山、音楽の湯浅とともに国際的に注目さる。同年秋からTV映画/ドキュメンタリー番組の助監督を4年間。71年処女作『MOTHER』で本邦初「モンテカルロ国際TV祭」金賞/創作脚本賞。同年『さすらい』で芸術祭大賞(NHK13年ぶり)。同年度芸術選奨新人賞。74年『夢の島少女』。76年『紅い花』(芸術祭大賞/国際エミー優秀賞)。80年『四季・ユートピアノ』100分版でエミー監督賞/「イタリア賞」グランプリ(同賞初ラジオ・テレビでのダブル受賞となる)80年から『Rivers』3作を海外で創る。ポー川篇で4度目の芸術祭大賞。グアダルキヴァール川(アンダルシア)篇で83年プラハ祭最優秀監督賞。『春・音の光』が最後のRiversで「毎日芸術受賞(映像部門個人)」「芸術選奨(放送部門個人)」「放送文化基金(個人)」受賞。談「主人公別のRiversで100本創るつもりだった! が、受賞で潰れた。賞は葬式だ。いま活火休火山。そのうち起きるか。いつ? 知ったことか」
 
[メッセージ「ボランティア賛歌」]
 映画祭 TAMA CINEMA FORUM の実行委員は50名のボランティアから成る。「志」偉大だ。昨年司会の大才能・是枝裕和監督の作品制作を支えているのもボランティアたちである。今年対談の塚本晋也監督の来年公開予定最新作・ベネチア映画祭審査員特別大賞受賞『六月の蛇』を受賞直後の試写会で見せてもらった。新しい! 世界へ向け内から爆発する美しい大傑作だ。大勢の応募者のなかから選抜され、200人のボランティアたちが、主役・主スタッフに交じって大仕事している。塚本晋也監督と彼らの熱い熱い鉄の塊が手渡されたのだ。感動を覚えずにはいられない。翻ってテレビドラマは何だ! 手馴れたドラマ作者の台本を押し戴きカットワリ、指パッチン、サラリーマンだ。ワンカット見れば分かる。脚本監督を志し度胸よく戦う者など、俺みたいな馬鹿以外一人も出ていない。俺がラジオを始めた1960年からないのだ! 「映像とは何か?」馬鹿なことを聞くな。体を張ることである。
 
聞き手:塚本 晋也(つかもと しんや)監督

 1960年1月1日、東京・渋谷生まれ。番組「ウルトラQ」にのめり込み、8mmカメラを手にした14歳から映画を作り始め、89年『鉄男』で衝撃的デビューと同時に成功をおさめ、超加速的に映像と音で観客を圧迫する独自の世界を撮り続ける。そのゴージャスで狂おしいほどのエネルギーは、国内、海外の映画ファン・批評家のみならず、M・スコセッシ、Q・タランティーノら海外映像作家も虜となる。俳優としての評価も高く、林海象、竹中直人、山本政志、長崎俊一らの監督作品に出演。監督最新作『六月の蛇』が来春公開予定。
 
[メッセージ]
 子供のころ、NHKでときどき放映される、コクのあるドラマが大好きだった。
 アタマに「芸術祭参加作品」とか出て来て、独特の臨場感で始まる。今思い出してもわくわくする。その筆頭に上げられるのが佐々木昭一郎さんの作品だ。『紅い花』は忘れられない。草野大悟さんのキャスティングが渋かった。線路をたどるように入って行く迷宮の世界。そのシーンの音楽は今でも口ずさめる。大好きなつげ義春さんの世界との華麗な合体。8mm映画を作るようになって多少生意気盛りになったころ『四季・ユートピアノ』を見た。シンプルな生々しい映像からどうしても目が離せない。その理由はすぐには分からなかった。のちのちまでずっと頭から離れない。今回佐々木昭一郎さんとお会いすることができるという。緊張する。もう一度作品を観返して、またご本人とお会いして、あの目が離せなかった謎に少しでも迫りたいと思っている。