戦争中に木下惠介が映画監督としての原点をみつめ直した『陸軍』にまつわるエピソード。現代のアニメーション監督・原恵一が、自身初の実写作品で甦らせた木下惠介監督の信念とヒューマニズムを観よ。
1944年の国策映画で木下惠介の監督4作目。日本への奉仕と忠誠を家訓とし、友彦(笠)が日露の戦いで出征を果たす。だが、病弱な友彦は前線での活躍ができず、その「恥」の汚名をそそぐ期待を長男・伸太郎(星野)に託した。やがて時は中国出兵、成長した長男の出征に心底喜ぶ友彦と妻(田中)だったが……。
想像しよう。教育勅語や軍人勅諭が、ほとんどの日本人の口から念仏のように語られる時代。教科書を踏む子に、母は厳しく諭し、男の子としてのあり方を躾ける時代。息子が戦地へ出征することを喜び、天子様(天皇)からの預かり物である子供を返すことができたとする時代。
そんな建前の時代に、木下監督は本音と建前の間で揺らぐ庶民を描いた。勅語で「友達とは互いに信じあい、行動は慎み深く、他人に博愛の手を差し伸べ」と言いつつも友人と会うたびに喧嘩する親の姿。勅諭で「国に忠誠を尽くし、義は山よりも重く、死は羽よりも軽い」と言いつつも冷静に戦況を分析し、戦術の課題を挙げる元軍人。戦地へ出征する息子を喜びつつも、最後には居ても立ってもいられず、旅立つ息子を泣きながら追いかける母。
反戦だとか、右翼だとか左翼だとかいう前に、そこには庶民の生活がある。喧嘩もすれば、皮肉も言うし、人の前で泣く、そんな人々の営みがある。完璧でもなければ、従順でもなく、揺れ動く人の心がある。
想像してみると、戦中だろうが70年前だろうが今を生きようとするわたしたちと大きく変わらない。(半)
木下惠介(加瀬)が監督を務めた国策映画『陸軍』は、出征する息子を母が涙を浮かべて見送るラストシーンが「女々しい」と波紋を呼んだ。次回作の製作中止を言い渡されて木下は松竹に辞表を提出、「映画監督を辞める」と浜松に帰郷。戦況が悪化するなか、病で倒れた母・たま(田中)をリヤカーに乗せて疎開することになる。
「母子の情を描くことがなぜいけないのですか」「自分の息子に立派に死んで来いなんていう母親はいない」……。本音と建前が強く意識された軍国主義の時代に、何ものにも代えられない愛情を描いた木下監督の言葉に惹きつけられた。制約があるなかで表現を貫いた先人がいたのだと心が動かされると同時に、それは大変な覚悟と勇気が要ることだっただろう、とも考えた。きっと、便利屋(濱田)が監督を相手にしていると知らずに『陸軍』ラストシーンの感想を述べて褒めたあのような瞬間こそが、表現者・作家に力を与えるのだ。
ほぼ丸ごと引用された『陸軍』ラストシーンから、人生に訪れる挫折や後悔や喪失に考えを巡らせてほしい。そしてなにより、立ち止まった自分に、もう一度、前に進む力を与えてくれる存在のありがたさだ。母のやさしいまなざしと、ともに泣いてくれる姿がとにかく温かい。
本作は『河童のクゥと夏休み』や『カラフル』などのアニメーション作品を手がけてきた原恵一監督にとって初の実写作品であるが、ショットの一つひとつに原監督の高い美意識と木下監督への深い敬愛の念を感じた。(渉)
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