おすぎの特選映画シアター

11月19日 「おすぎの特選映画シアター」 (やまばとホール)

●Time Table●
10:20−10:30
10:30−12:50
13:20−14:40
15:00−16:41
17:00−19:06
オープニング
リプリー
おすぎのシネマレクチャー
オール・アバウト・マイ・マザー
サイダーハウス・ルール

リプリー
THE TALENTED Mr.RIPLEY
1999年/アメリカ/パラマウント・ピクチャーズ、ミラマックス・フィルムズ製作/松竹配給/2時間20分
 
監督・脚本=アンソニー・ミンゲラ
原作=パトリシア・ハイスミス
撮影=ジョン・シール
音楽=ガブリエル・ヤレド
美術=ロイ・ウォーカー
編集=ウォルター・マーチ
出演=マット・デイモン、グウィネス・パルトロウ、ジュード・ロウ、ケイト・ブランシェット、フィリップ・シーモア・ホフマン、ジャック・ダベンポート
 
[ストーリー]
 1958年、ニューヨーク。下流階級のトム・リプリー(M・デイモン)は、上流階級の造船業界大物から、イタリアに行ったまま戻らない道楽息子ディッキー(J・ロウ)を連れ戻してくれという、申し出を受けることとなる。上流階級への憧れ、妬みから、リプリーは金持ちディッキーを殺して彼になりすまし、たくらまれる完全犯罪へと進むのではあるが……。
 
[コメント]
 ニーノ・ロータの甘美なメロディ、陽光の下の青い海、白い帆布が眩しいヨット。ディッキーを殺して彼となりすまし、サインの偽造にスライド写真を利用して練習する、あのくわえタバコのアラン・ドロン。1960年、名匠ルネ・クレマンのサスペンス映画の最高傑作『太陽がいっぱい』が、『イングリッシュ・ペイシェント』のアンソニー・ミンゲラ監督の映画として蘇った。『恐怖の報酬』、『悪魔のような女』の例をとるまでもなく、これまでサスペンス映画のリメイクに成功作はない。今回は、P・ハイスミスの原作をより忠実に、彼女の生涯のテーマである“確固としたアイデンティティの喪失”の不安を、丁寧に重厚に描いている。ゾクッとするようなドロンの美しさとは全く対照的な野暮で繊細なリプリーを演じたまマット・デイモン。ヌメっとしたモ−リス・ロネの冷たさに対し、ギラッとする美しさのディッキーを演じたジュード・ロウ。ミステリーらしいミステリー映画として最高の結末の名作を意識しながら、ミンゲラ監督は原作にクールに、深く、そして不安に怯えつつ生きなければならぬ、太陽の色とは正反対の黒のトーンが余韻を残す結末としている。サスペンス映画として、唯一リメイク版の成功であることに間違いない。 (津)

オール・アバウト・マイ・マザー
ALL ABOUT MY MOTHER
1999年/スペイン/EL DESEO S.A.、レンプロダクションズ、チャンネル2製作/ギャガ、東京テアトル配給/1時間41分
 
監督・脚本=ペドロ・アルモドバル
撮影=アフォンソ・ベアト
音楽=アルベルト・イグレシアス
美術=アンチョン・ゴメス
編集=ホセ・サルセド
出演=セシリア・ロス、マリア・パレデス、ペネロペ・クルス、カンデラ・ペニャ、アントニア・サン・フアン、ロサ・マリア・サルダ
 
[ストーリー]
 「お父さんについてすべて教えて」ある日突然、17年前に別れてしまった夫について息子から聞かれた母マヌエラ(C・ロス)。長い間隠していた夫の秘密を遂に話さなければと覚悟を決めた矢先、最愛の息子を事故で失ってしまう。息子が残した父への想いを伝えるために、かつて青春時代を過ごした思い出の地、バルセロナへと旅立った……。
 
[コメント]
 アルモドバル監督の『私の秘密の花』。モラルを笑い飛ばすかのごとく悪趣味でキッチュな色彩にあふれた今までの作風から一転、方向転換を図ってはいたものの、けれんも毒もなく、D・リンチ監督の『ストレイト・ストーリー』で感じた戸惑い(ほどではないが)同様の驚きを禁じ得ないものだった。しかし次作『ライブ・フレッシュ』では前作でなし得なかった監督の、描きたかったに違いない目指すべき映像がそこには顕在していた。扱うテーマ性や人物設定は変わらずとも、人間を見つめる眼差しがより細やかに内面に踏み込んだものになっており、今までにはない重厚な趣が加わっていた。そしてそれは今作『オール・アバウト・マイ・マザー』のカンヌ国際映画祭最優秀監督賞という形で結実する。ヒトクセもフタクセもある女性(になった人)たちの奇妙なキャラクター描写など監督独特の皮肉なユーモアが込められている点は健在ながらも、愛し、傷付き、苦悩しながら逞しく生きていく姿をかつてのオフビートな映像ではなく、ごく自然で穏やかなストーリー進行で淡々と綴っている。また原色を多用した絶妙の配色感覚が今回は復活し、しかも決してどきつく下品になることなく人物や背景にと見事に溶け込んでいた。特に全体で「赤」を基調にした色使いは、この映画に登場するビビッドな女性たちをより一層力強く印象づけさせている。 (齋)

サイダーハウス・ルール
THE CIDER HOUSE RULES
1999年/アメリカ/フィルム・コロニー製作/アスミック・エース配給/2時間6分
 
監督=ラッセ・ハルストレム
原作・脚色=ジョン・アーヴィング
撮影=オリヴァー・ステイプルトン
美術=デイヴィッド・グロップマン
音楽=レイチェル・ポートマン
編集=リサ・ゼノ・チャージン
出演=トビー・マグワイア、シャーリーズ・セロン、マイケル・ケイン、デルロイ・リンド、キーラン・カルキン、エリカ・バドゥ
 
[ストーリー]
 セント・クラウズ孤児院で一人の男の子が生まれた。名前はホーマー(T・マグワイア)。ラーチ院長(M・ケイン)は息子のように愛情をそそぎ、自分の仕事を教えていく。ラーチ院長の仕事、それは分娩と当時禁止されていた堕胎だった。ホーマーにとって堕胎はどうしても出来ないことであった。自分ももしかしたら望まれない子として生まれてくることがなかったかもしれない。ある日、堕胎の手術をするためにキャンディ(C・セロン)とその恋人ウオーリーが孤児院を訪れる。青年になったホーマーには二人は新鮮だった。外の世界に憧れ、一緒に孤児院を出る決意をする。あてのないホーマーにウオーリーはリンゴ園での仕事を紹介する。季節労働者と一緒に住み込みで働き、2度目の収穫期になったころある事件が起こる。一緒にリンゴ園で働いていたローズが妊娠していたのだ。自分に出来ることは何か? ホーマーは大きな決断に踏み切るのだった。
 
[コメント]
 この映画でもっとも印象に残っているシーン、それは孤児院から一度も外に出たことがないホーマーが生まれて初めて見るという海の場面だ。あまりにも美しく、ホーマーでなくともこんな美しいところがあるのかと感動してしまう。それまで育った孤児院が人里離れたところにあったせいか、どこかさみしく閉塞感が漂っていたが、あの海のシーンがその解放を意味しているのではないかと思う。今まで育った孤児院が嫌になったわけではない。しかし外の世界への憧れ、そして自分のアイデンティティをつかむために孤児院を出る決意をする。自分は何なのか? 自分がするべきことは何か? 孤児院では決して味わえない経験をつみ、そのなかでホーマーは大きく成長していく。結局、選んだ道は孤児院に戻ることだったとしても、それはラーチ院長や孤児院にいる子どもたちが望んだから戻るのではなく、自ら進むべき道を見つけた積極的な選択である。物語は決して派手ではない。しかし観終わったときの余韻がいつまでも残る。それはテレビなどでは決して味わえない余韻だと思う。 (裕美子)