11月29日 「日本映画史を飾った男優スター PART2」 (やまばとホール)
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13:30−15:11 15:35−17:05 17:30−19:11 |
人生劇場 飛車角と吉良常 沓掛時次郎 遊侠一匹 嵐を呼ぶ男 |
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人生劇場 飛車角と吉良常 沓掛時次郎 遊侠一匹 嵐を呼ぶ男 |
人生劇場 飛車角と吉良常 |
1968年/東映製作・配給/1時間41分 |
監督=内田吐夢 原作=尾崎士郎 脚本=棚田吾郎 撮影=仲沢半次郎 音楽=佐藤勝 美術=藤田博 出演=鶴田浩二、高倉健、若山富三郎、藤純子、大木実、松方弘樹、辰巳柳太郎 |
[コメント] |
「鶴田浩二を知らない世代が増えている!」愕然とした思いだった。今年、観劇した芝居のなかの一幕で、中年男と若い娘の会話で鶴田浩二を知っている・いないがユーモラスに演じられていたのだが、その時は多くの若くない観客と共に笑い興じたが内心、驚いてしまった。 それからすぐ様、周りの20代の若者にあたり構わず聞いてみた。「あなたは鶴田浩二を知ってますか?」ボーダーラインは27.6才という結果だった!(サンプル数126人 <嘘>) 「いけない。このままではいけない!」という妙な使命感にとらわれ、カラオケスナックで「傷だらけの人生」を若い娘の前で歌ったりという意味のないことをしてしまった。 『ホタル』のヒットを見るまでもなく、未だ健在の健さん人気なのだが、その健さんが東映の任侠路線バリバリの頃、兄貴格でいたのが鶴田浩二であり、若気の至りで暴走する健さんを暖かく見守る存在だったりするのだ。 そんな日本映画がスターをスター然として一番輝かせていた時代の作品を今、観て語ることがスターを永遠に輝かすことであろう。 (セ) |
沓掛時次郎 遊侠一匹 |
1966年/東映製作・配給/1時間30分 |
監督=加藤泰 原作=長谷川伸 脚本=鈴木尚之、掛札昌裕 撮影=古谷伸 音楽=斎藤一郎 美術=井川徳道 出演=中村錦之助、池内淳子、中村信二郎、東千代之介、弓恵子、渥美清 |
[コメント] |
今回の近フィルプログラムは「日本映画史を飾った男優スター」というタイトルがついたスターたちの競演だが、1962年生まれの筆者にとって一番なじみの薄いスターが本作の中村錦之助(のちに萬屋錦之助と改名)だ。 東映時代劇が隆盛だった頃の大スターなのだが、私にとって萬屋錦之助は「子連れ狼」の「ちゃん」であり、『蒲田行進曲』で「銀ちゃん」のモデル(象徴的な意味での)という認識しかない。 健さんが背中を丸めてハスに構えて敵と対峙するのに対し、錦之助のそれは常に背筋が伸び、相手と正対する。それは剣を持つ者のまっとうな姿であり、王道なのだ。本作ではそんな王道をゆく男の姿を股旅ものとして形を変えながら、しかし、不幸な女のために身を賭して闘う男をまっすぐに演じている。 映画=活劇=時代劇という分かりやすい時代の典型的なスターの傑作である。 (セ) |
嵐を呼ぶ男 |
1957年/日活製作・配給/1時間41分 |
監督・原作・脚本=井上梅次 脚本=西島大 撮影=岩佐一泉 音楽=大森盛太郎 美術=中村公彦 出演=石原裕次郎、北原三枝、金子信雄、芦川いづみ、白木マリ、岡田真澄 |
[コメント] |
ぎょろっとした目だがチャーミングな顔、日本人離れした長身、すらりとのびた長い脚、石原裕次郎は、戦後の若い世代の行動の直接性と合理性を具現化した存在であった。その魅力は、伝統的な権威や身分の壁をつき破る傍若無人な青年という、従来の日本人スターにはみられないまったく新しい種類のスター誕生となった。『嵐を呼ぶ男』は、そのスター性を確立した記念すべき作品である。 昭和32年12月28日、お正月映画として封切られたこの映画は、ほかの正月興行映画を完全に引き離してのヒット作となった。 ドラマーで銀座のギター流しで評判の暴れん坊が、一流のドラマーとして、スター街道をかけのぼっていくが、トラブルに巻きこまれ、大事な手を負傷する。ドラマー合戦でのマイクをつかんで歌いだすシーンが印象に残っている。「おいらはドラマー、やくざなドラマー」ではじまる渋い歌は観客を魅了した。 昭和62年(1987年)、この裕次郎がガンでなくなったとき、その葬式に数千人の中高年の女性が参列したと、新聞で伝えられた。 ちなみに、昭和32、33、34年は、日本の映画観客動員数が、史上最高となった年でもある。 (信) |