11月29日 「もう1つの戦争映画」 (パルテノン多摩小ホール)
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15:00−17:03 17:20−19:15 19:35−21:13 |
この素晴らしき世界 暗い日曜日 ノー・マンズ・ランド |
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15:00−17:03 17:20−19:15 19:35−21:13 |
この素晴らしき世界 暗い日曜日 ノー・マンズ・ランド |
この素晴らしき世界 Musime si Pomahat |
2000年/チェコ/大映株式会社配給/2時間3分 |
監督=ヤン・フジェベイク 脚本=ペトル・ヤルホフスキー 撮影=ヤン・マリーシュ 音楽=アレシュ・ブジェズィナ 出演=ボレスラフ・ポリーフカ、アンナ・シィシェコヴァー、ヤロスラフ・ドゥシェク、チョンゴル・カッシャイ、シモナ・スタショヴァー |
[ストーリー] |
第二次大戦、ナチス占領下の1943年のチェコ。そこに暮らす一組の夫婦のヨゼフ(B・ポリーフカ)とマリエ(A・シィシェコヴァー)。ある日、かつて親しくしていたユダヤ人青年ダヴィトがポーランドの収容所を脱走してきた。二人は悩みながらも青年を匿うことにするが、疑う知人たちをごまかすため大きな“決断”を実行することになってしまう……。 |
[コメント] |
本作品は実際に戦時中にあった実話をもとに映画化されたものである。 戦争時に暮らしていた人々の生活は悲惨なものであっただろうが、その生活が悲劇であるがゆえに、そこで暮らしている人々の生活にはある種のユーモアが生まれてきていたこともまた事実であろう。 本作品でもナチスの占領下という厳しい状況のなかで、他人に対するちょっとしたごまかしや疑い、嫉妬などの「人間と人間のつながり」が悲劇を生み、そして悲劇が更なる喜劇を生んで行く。 この映画は内容的にはヒューマン・ドラマに分類されるであろうが、実は素晴らしきコメディでもあるのだ。 ラストシーンで微笑む主人公にわれわれ観客の多くは安堵の思いを抱くだろう。しかし、その後のチェコの歴史を慮れば、主人公の微笑みにハッピーエンドだけではなく、儚さもまた感ぜずにはいられない。 (治) |
暗い日曜日 Gloomy Sunday |
1999年/ドイツ・ハンガリー合作/メディアファクトリー配給/1時間55分 |
監督=ロルフ・シューベル 脚本=ルース・トーマ、ロルフ・シューベル 撮影=エドヴァルド・クオシンスキ 音楽=デトレフ・ピーターソン、レジョー・セレッシュ 出演=エリカ・マロジャーン、ステファノ・ディオニジ、ヨアヒム・クロール、ベン・ベッカー |
[ストーリー] |
この曲を聴いて自殺者が続出したことから数々ので伝説に彩られた、シャンソンの名曲「暗い日曜日」。 1930年代の末、ブタペスト。レストラン経営者・ラズロ(J・クロール)、彼の若く美しい恋人・イロナ(E・マロジャーン)、店の名もなきピアノ弾き・アンドラーシュ(S・ディオニジ)。3人は愛を共有し合う不思議な関係を保っていた。しかし、ピアノ弾きが「暗い日曜日」を作曲したことから、第二次戦下、3人の愛は歯車が狂い始める……。 |
[コメント] |
だれもが一度は耳にしたことがある、「暗い日曜日」。この曲の誕生にこんなにも激しく切ない愛の物語が隠されていたのかと、納得させられてしまう内容だった。 3人の男女が共有する超越した愛、ヨーロッパの戦況、中欧の歴史を描いて見応えがあった。イロナの一途な愛、ラズロの懐深い愛、ピアノ弾きの危うい繊細な愛。理想の愛の形ではあったが、永遠には続かなかった。激動の時代、「暗い日曜日」の旋律に導かれ、3人の運命が翻弄されていく様はハラハラとしてしまった。ラストシーンはこの重苦しい雰囲気を払拭させるサスペンス調で、胸のつかえがとれた見事な結末だった。 戦争を題材にした映画を観て思うことは、戦争を知らない私たちは、決して戦争を知りたくはないと。 (ちえ) |
ノー・マンズ・ランド NO MAN'S LAND |
2001年/フランス、イタリア、ベルギー、イギリス、スロヴェニア/ビターズ・エンド配給/1時間38分 |
監督・脚本・音楽=ダニス・タノヴィッチ 撮影=ウォルター・ヴァンデン・エンデ 出演=ブランコ・ジュリッチ、レネ・ビトラヤツ、フィリプ・ショヴァゴヴィッチ、カトリン・カートリッジ |
[ストーリー] |
1993年ボスニア紛争のさなか、ボスニアとセルビアの中間地帯、<ノー・マンズ・ランド>の塹壕の中に取り残された敵対する兵士チキ(B・ジュリッチ)とニノ(R・ビトラヤツ)。そして身体の下に地雷を仕掛けられたツェラ(F・ショヴァゴヴィッチ)。無力な国連軍と、スクープを狙うことに血道をあげるマスコミの間で、チキとニノは瞬間、心を通わせ合うのだが……。 |
[コメント] |
「この戦争は何のため?」 人は何のために戦うことが出来るのだろうか。国の、民族の、そして宗教のため。または富や大切な人のために武器を取るかもしれない。 『ノー・マンズ・ランド』で描かれるボスニア紛争では宗教を異にする民族同士が争いあった。この違いは曖昧で、彼らは言語も容貌もまったく変わらないのだ。映画のなかでのチキとニノもなぜ争っているかが分からなくなっていく。幾度となく理解し合えそうな時が2人には訪れるのだが、結局のところ、互いを憎みあう心しか残らない。 彼らのやり取りはあるいはユーモラスかもしれない。しかし彼らを待ち受ける結末はあまりに残酷であり、あまりに痛切である。戦争が何かを生み出し得るならば、それはこのような悲劇である。 憎しみが憎しみを呼び、殺し合いが殺し合いを加速させるのであれば、この世界には誰もいなくなってしまう。もう1つの<ノー・マンズ・ランド>に……。 (家) |