11月19日 「BOWシリーズ30周年傑作選」 (パルテノン多摩小ホール)
●Time Table● | |
11:00−12:36 13:25−15:51 16:10−18:39 |
はなればなれに パリ、テキサス サクリファイス |
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11:00−12:36 13:25−15:51 16:10−18:39 |
はなればなれに パリ、テキサス サクリファイス |
はなればなれに BANDE A' PART |
1964年/フランス/フランス映画社配給/1時間36分 |
監督・脚本=ジャン・リュック・ゴダール 原作=ドロレス・ヒッチェンズ 撮影=ラウール・クタール 音楽=ミシェル・ルグラン 出演=アンナ・カリーナ、サミー・フレイ、クロード・ブラッスール、ルイザ・コルペイン、エルネスト・メンゼル |
[ストーリー] |
冬のパリ。 ある日、ヒマはふんだんにあるが金はない、大反対の性格のフランツ(S・フレイ)とアルチュール(C・ブラッスール)は美しいオディール(A・カリーナ)に一目惚れした。そんな3人がなぜか、セーヌの支流マルヌ川沿いの邸に眠る大金の強奪計画を実行することになった。ゴダールのシュールで自由な実験的映像で描かれる、コメディ・タッチの犯罪ミステリー。 |
[コメント] |
代表作である『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』しか観たことのない人には目から鱗のゴダール作品。(最近でこそ有名になったが)90年代半ばまでは彼のプロフィールにこそ載るものの、観たことがある人はほとんどいなかったというまさに裏ベストと呼ぶにふさわしい傑作。 『気狂いピエロ』の前の息抜き(?)で撮ったという趣きもあるが、いかに彼が映画好き(シネフィル)であるかがよく解る作品でもある。 そしてアンナ・カリーナ。『女は女である』と双璧で、彼女の魅力がつまっている。(髪型に注目!)まさにミューズ。 (舟) |
パリ、テキサス PARIS TEXAS |
1984年/西ドイツ・フランス・イギリス/フランス映画社配給/2時間26分 |
監督・脚本=ヴィム・ヴェンダース 脚本=サム・シェパード 撮影=ロビー・ミューラー 編集=ペーター・プルツイゴッダ 音楽=ライ・クーダー 出演=ハリー・ディーン・スタントン、ナスターシャ・キンスキー、ディーン・ストックウェル、オロール・クレマン |
[ストーリー] |
一人テキサスの荒野を行く、トラヴィス(H・D・スタントン)。彼は妻と別れた後、4年間失踪を続けていた。7歳の息子ハンター(H・カースン)はトラヴィスの失踪後、母のジェーンに捨てられ、トラヴィスの弟夫婦ウォルトとアンに実の息子のように育てられていた。ある日、弟のウォルトに見つけ出されて、ハンターと再会したトラヴィス。そして、別れた妻にもう一度会うため、ハンターと短い旅に出る……。 |
[コメント] |
カンヌ国際映画祭パルムドールに輝いた、ヴェンダースの代表作。 ヴェンダースはこの作品の出来を“完璧な体験”と評し、今年上映された『アメリカ、家族のいる風景』までの約20年間、共作した脚本家との仕事を躊躇してきた。それほど彼にとって、この作品は自信作なのであろう。 さてこの作品は、個人的には“飾りのない愛の物語”だと思う。失踪中に変わり果てたトラヴィスを受け入れ、家に連れ戻す弟。4年間関係が途切れていた親子の絆を取り戻すために、試行錯誤するトラヴィス。息子と繋ぎ合わせるために、どうしようもなく変わり果てた妻を受け入れ、向き合うトラヴィス。 このような、親子・兄弟・夫婦・男女などの様々な“飾りのない愛”がこの作品にはある。ダイナミックな展開や韓流のような純愛などはないが、だからこそ、私たちの日常のなかにもこの“飾りのない愛”を作りあげたり、発見したりすることが出来るのではとこの作品は思わせてくれる。 (町) |
サクリファイス Offret / Sacrificatio |
1986年/スウェーデン、フランス/フランス映画社配給/2時間29分 |
監督・脚本・編集=アンドレイ・タルコフスキー 撮影=スヴェン・ニクヴィスト 編集=ミハウ・レシュコフスキー 音楽=オーヴェ・スヴェンソン 出演=エルランド・ヨセフソン、スーザン・フリートウッド、アラン・エドヴァル、グドルン・ギスラドッティル |
[ストーリー] |
バルト海をのぞむゴトランド島でのある日、主人公アレクサンデルは自身の誕生日に息子と枯れた松の木を植えている。知人たちとの誕生日の祝いのさなかに核戦争勃発との首相の声をテレビで聞き、パニックに陥る人々ーー。 極限の状態のなか、アレクサンデルは自らを賭けて信じていなかった神と対峙し、愛する人々を救うために自らを犠牲にささげるサクリファィス(犠牲、献身)を実行するーー。 |
[コメント] |
前作『ノスタルジア』撮影中にソビエトから亡命したタルコフスキー。今作品も外国で撮られた作品でタルコフスキーの遺作でもある。 ソビエト体制のくびきから自由になったからか、ソビエト体制(無論、官僚主義と唯物史観に対してだがーー)への批判とキリスト信仰がかなり直裁に感じ取れる。最も監督自身のパーソナリティーが見える映画ではないだろうか。タルコフスキーの信仰の告白を聞いているかのような、さながら祈りのような映画である。 (松) |