映像詩人・園子温監督特集

11月23日 「映像詩人・園子温監督特集」 (ベルブホール)

●Time Table●
12:00−13:33
14:00−14:22
14:30−14:56
15:15−17:54
18:10−18:50
部屋 THE ROOM
0cm4

紀子の食卓(R15)
トーク 園子温監督、司会:臼田あさ美氏

部屋 THE ROOM
1993年/アンカーズ・プロ製作・配給/1時間33分
 
監督・脚本=園子温
撮影=御木茂則
音楽プロデュース=山本公成、岡野弘幹
出演=麿赤児、洞口依子、佐野史郎、高橋佐代子
 
部屋 THE ROOM
 
[ストーリー]
 殺し屋稼家に疲れ果てた初老の男は、不動産屋に飛び込み、女係員に部屋探しを頼む。
 今までに殺してきた人々の最後の姿を一つ一つの脳裏に浮かべながら、係員とともに男は部屋から部屋へと巡り歩いていく。そして部屋探しの二日目、男は係員に案内され、遂に理想の、窓から見える眺めだけが唯一の取り柄の部屋に行き着く。(キネマ旬報DBより)
 
[コメント]
 この作品は「見る」のではなく、「眺める」こと。それが、この作品を楽しむポイントである。
 ストーリー自体は、殺し屋稼業に疲れ果てた男が部屋を探すーただそれだけの話である。伏線も、複雑怪奇な謎もない。
 簡潔なストーリーの一方で、モノトーンの映像美が美しい。ベルリン映画祭で「能の舞台」に例えられているように、作品全体を通して台詞が少なく、静謐な感じがする映像に仕上がっている。
 また音が極力絞られているためか、逆に、たまに入ってくる音が良い意味で目立つ。特に冒頭の海の映像では、船の船影の映像と汽笛の音とが見事に調和しているように感じられ、眺めているうちに映像に引き込まれていく。
 何も考えずにボーっとしつつ散歩気分を味わえる作品である。 (太)

0cm4
1999年/シンイチロウ・アラカワ・ジャパン製作/22分
 
監督・脚本=園子温
撮影=石井勲
音楽=U.F.O
出演=永瀬正敏、麻生久美子、鈴木卓爾
 
0cm4
 
[ストーリー]
 これは、ある色盲の男についての映像である。
 色盲治療の手術を受ける一週間前から、彼はこの治療によって自分の色覚と世界がどのように変わるのか不安を覚え始める。
 「俺の世界、…俺の色の感じ方は変わるのだろうか…それは今までと、全く異なるものなのだろうか…?」
 手術後、彼の目を覆う包帯が外された。一体どんな「色」を、彼は見始めるのだろうか?
 何が正しく、何が間違いなのか? それを判断する基準(定義)は無い。
 人が見てとった色は同じではない。それらはすべて異なっており、各個人の認識能力を通して解釈される。この映像は、男の心と考え方の変化を彼と彼を取り巻く人々の経験を通して描き出し、彼の生活の変化を記録した記録映画である。
 
[コメント]
 題材として色盲を取り上げているが、内容としては普遍的なテーマを扱っている。
 この映画で男が「自分の見ている色が間違っていて、他の人間が見ている色が正しいと、誰が決めるのか」という台詞を言う箇所がある。
 「色盲」は「色覚異常」とも書かれる。何から比べて「異常」かというと、「人類の大半の人々の色の認知」を「普通」と定義した場合である。しかし、果たして「普通」と言われる私たちの色の認識能力は、果たして「正しい」のか? そう言われると、甚だ疑問だ。もしかすると、色盲の人々の見ている世界のほうが「正しい」のかもしれない。
 むしろ「正常」・「異常」の違いは、「正しい」・「間違い」の違いではなく、単なる「マジョリティ」と「マイノリティ」の違いだけである。例えば、「色盲」とそうでない人々との数の比率が逆転すれば、「正常」、「異常」の基準など簡単にひっくり返るであろう。色の認識のみならず、私達は自分たちを基準(=普通)と考える傾向にある。
 果たして、「普通」とは何か? そして、それは「正しい」のか?
 それを考える良い機会を与えてくれる作品である。 (太)

1998年/通産省製作/アンカーズ・プロ製作/ぴあ配給/26分
 
監督・脚本=園子温
撮影=北澤弘之
音楽=石原諭
出演=佐々木愛、東陽子、岡部満、鈴木桂子、若松孝二
 
風
 
[ストーリー]
 山形県立川町。祖母とふたりで暮らす中学生の少女(佐々木)は、ある日、不思議な夢を見る。それは、赤いレインコートの少女が白いワンピースの妖精に風車を貰うというもの。しかも、それと同じ夢をクラスの何人かが見ていたのだ。帰省した少女の姉によると、その夢は人生の節目に見る夢で、姉も幾たびかそんな夢を見てきたらしい。少女は思う。今度はいつその夢を見るのだろうかと。(キネマ旬報DBより)
 
[コメント]
 通産省は年に一度、全国市町村に呼びかけて「村おこし」を目的とした映画を作成している。この作品は、その作品群のうちの一つである。
 舞台となった山形県立川町は風が強いという町の特徴を活かし、電力の一切を風力発電で賄っているというエコロジカルな町だ。本作は、その町のシンボルである「風車」を題材に、大人への階段を上る少女の物語を詩的に描き出している。
 園監督作品には珍しく可憐な青春映画であること、またこの作品自体も映画祭・上映会等の機会でなければ見ることができない。非常に希少な作品であるので、是非、この機会に見ていただきたい。 (太)

紀子の食卓
2005年/マザーアーク製作/アルゴ・ピクチャーズ配給/2時間39分
 
監督・脚本=園子温
撮影=谷川創平
音楽=長谷川智樹
出演=吹石一恵、吉高由里子、つぐみ、光石研
 
紀子の食卓
 
[ストーリー]
 島原紀子(吹石)は、17才の平凡な女子高生。妹ユカ(吉高)と両親の4人家族。紀子は田舎の生活や家族との関係に違和感を感じていた。ある日、“廃墟ドットコム”というサイトをみつけ、そこで知り合った女の子を頼りに東京へ家出を決行する。東京で<ミツコ>と名乗った紀子は、虚構の世界で生きることを決める。そんなある日、新宿駅のプラットホームから女子高生54人が集団自殺する。“廃墟ドットコム”にその秘密が隠されていることを知った妹ユカも東京へ消える—。(アルゴ・ピクチャーズのサイトより)
 
[コメント]
 この作品の前編にあたる「自殺サークル」では「人と人との関係」、そして「自分と自分との関係」を問い直した。そして、その続編ともいうべき本編では「自殺サークル」では描かれなかったサークル側から、人間関係の基本である家族を軸に、再度人と人との繋がりに疑問を投げかけている。
 主人公は「家族との関係に違和感を持つ=家族とのコミュニケーションが不全で、自分の居場所を感じられない少女」である。そして、<本当の自分>になるために家出をし、「家族サークル」の一員になる。そのサークルの中で紀子は本物の<家族>との関係、そして<自分>を実感することになる。
 血の繋がりのある人間を<家族>とは感じられず、他人を<家族>と感じるとは皮肉なものだが、確かに同じ血を引くからというだけで<家族>になれる訳ではないのかもしれない。<家族>になるには、<家族>でいるための努力が必要なのだろう。例としては極端だが、特に、最近頻発している児童虐待事件を見ていると、そういう気がする。
 その彼女が家族との関係を再構築できるかを通して、自分と他人との関係を見つめなおすのもいいかもしれない。 (太)

●ゲストの紹介
園 子温(その しおん)監督

 1961年12月18日、愛知県豊川市に生まれる。園子温、本名である。17歳で詩人デビュー。「ユリイカ」「現代詩手帳」に続々と詩が掲載され、“ジーパンをはいた朔太郎”と称される。『俺は園子温だ!』(1985年)がぴあフィルムフェスティバル入選、『男の花道』(87年)がグランプリを受賞。ぴあスカラシップ作品として制作された16mm映画『自転車吐息』(90年)は、ベルリン映画祭をはじめとして、30を超える映画祭で上映された。以後、『部屋』(94年)でサンダンス映画祭審査員特別賞、『自殺サークル』(2001年)でカナダファンタ映画祭(ファンタジア2003)の観客賞と最も優れた映画に贈る賞、『紀子の食卓』(06年)でカルロヴィヴァリ映画祭の特別表彰とドン・キホーテ賞、及びプチョン国際ファンタスティック映画祭の主演女優賞(吹石一恵)と観客賞を受賞するなど国際的に活躍している。
 
司会:臼田 あさ美(うすだ あさみ)氏

 1984年、千葉県出身。2003年から2005年まで、小学館『CanCam』専属モデルとして活躍する。TVコマーシャル、TVドラマなどに数多く出演するかたわら、音楽TV番組のアシスタントやラジオパーソナリティーなどでも活躍する。出演作品として『夢の中へ』(主人公の妹役・園子温監督作品)、『この胸いっぱいの愛を』(布川靖代役・塩田明彦監督作品)、『海猿』(怜役・ドラマ)などがある。