11月24日 「青春群像劇篇」 (ベルブホール)
●Time Table● | |
15:30−17:01 17:15−18:17 18:30−20:45 20:45−21:15 |
剥き出しにっぽん 私は落ち陽は赤黒く 夜明けまで トーク 松本卓也監督、河野和男監督、司会:小原茂樹氏 |
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剥き出しにっぽん 私は落ち陽は赤黒く 夜明けまで トーク 松本卓也監督、河野和男監督、司会:小原茂樹氏 |
剥き出しにっぽん |
2005年/16mm/1時間31分 |
監督・脚本・編集=石井裕也 制作=江原三郎 撮影=松井宏樹 美術=沖原正純 出演=登米裕一、二宮瑠美、西薗修也、牧野エミ、桂都んぼ、金明玉、垣内和紀 |
[作品紹介] |
情緒不安定でマッチョ主義者で女々しくてお爺ちゃん子の男・小松太郎(18)の迷走と暴走。高校卒業後、太郎は突然自給自足の生活をしていくことを決意。不動産屋に騙されたとしか思えないボロボロの廃屋と不毛な畑のなかで、太郎は好きな女・洋子(18)と父・鉱一(44)と共に生活することになった。 馬鹿で醜く、同時に愛おしく優しい人間たちが織り成す群像喜劇。 |
石井 裕也(いしい ゆうや)監督 1983年生まれ、埼玉県浦和市出身。大阪芸術大学入学後より映画制作を開始。現在日本大学大学院在学。他の作品は『反逆次郎の恋』(DV・96分)など。大阪市の文化振興事業である助成映画『ガール・スパークス』を制作中。 |
[メッセージ] |
僕なんかはずっとジョン・レノンが好きで、まあジョン・レノンて言うか人間臭い人が好きなんです。何かが「剥き出し」なんですねきっと。そこが魅力と言うか。それでそういう人たちの映画を撮ろうと思いました。で、タイトルは最初『剥き出し』だったんですが、なんかAVのタイトルみたいでイヤで。それで「にっぽん」を付けました。つまり、「社会」っていうものを非常に意識して作りました。 |
私は落ち陽は赤黒く |
2006年/DV/1時間2分/冒険風群像劇 |
監督・脚本・撮影・編集=松本卓也 音楽=YUME、鬱永安敏(AZUMIX)、フーバーオーバー(特別提供) 出演=太田望海、平本並、川島田ユミヲ、月野光司(こわれ者)、日下部花、藤田アユミ、日栄和樹 |
[作品紹介] |
インターネット会員制サイト「maxy」の20代限定コミュニティの仲間たちに、自殺予告メッセージを送りつけたジュウゾーは、新潟県の離島、粟島にて自殺することを宣言、島に渡る。 メッセージを受けとった多くの仲間が無視をするなか、女子高生ソフィーは物珍しさに、サラリーマンのウーは自殺を止めに各々島に渡る。一方、最近スランプ気味の若手お笑い女流コンビ「海女ゾネス」の二人は、ライブ用の映像コントを撮るため、粟島に渡る。粟島の自然のなかを縦横無尽に駆け巡り、島民との交流、そして其々の思いが交差するなか、3日間の物語は終局を迎える……。 |
芸人 松本 卓也(まつもと たくや)監督 1976年生まれ、東京都出身、生粋のもやしっ子。高校時代お笑いコンビを結成。2001年相方にふられ、結成9年目で解散。翌年から狂乱的に映画制作に没頭。笑いとは全く逆ベクトルな内容の作品を発表。「拳銃」「花火」「血のり」と邦画インディーズにありがちな三大要素を指摘、断固拒否。 |
[メッセージ] |
綺麗ごとだけでは、決して終わらないことがあります。してしまったことへの断罪と、ピリっとする毒。それでも尚、仲間と出会えた未来に、希望を見出す程の明るさと、願いを込めて作品を制作しました。ま、そんなことよりも、とにかく今はウンコがしたいです。何故ならば、したいから。 |
夜明けまで |
2006年/DV/2時間15分 |
監督・制作・脚本・編集=河野和男 制作・録音=山本佳子 制作=鈴木明日香 音楽=Sonny Thet、sure-A、enick 出演=高橋雄二、三藤晶子、三神穣司、鈴木明日香、小原茂樹、有馬美春 |
[作品紹介] |
タカハシは上京後毎日バイトに行っては寝るだけの生活を繰り返していたが、ひょんなことから同じバイト先のジョウジ、新宿のバーで働くアスカ、そのバーの新人アキコと友達になる。バンドを組んだり仕事を頑張ったり、それぞれ充実した夏を過ごした。だが、秋が来る頃になるとそれぞれの歯車が狂いだし……4人の主人公の1年間を追い、それぞれの成長を描いた青春映画。 |
河野 和男(こうの かずお)監督 1971年生まれ、岩手県出身。大学卒業後アルバイト生活の傍ら道端などで人材を募集し映画制作活動を行う。その後いろいろ映画祭に入選。現在はCMディレクター。特に最近の興味はネットドラマ。仕事下さいね。 |
[メッセージ] |
まずは規定外の長編の、上映の機会を頂けたことに感謝しています。そしてとにかく登場人物たちの生きている姿を見て欲しいです。1年間の物語ですがそのなかで成長していく姿はむしろ僕が作りあげているというよりもキャスト、スタッフそのものの過程ではなかったかと思います。私見ですが、「撮影」の本質は記録です。フィクションであっても、それは変わらないと思っています。 |