オープニング企画:フォーラム推薦作品

10月7日 「オープニング企画:フォーラム推薦作品」 (やまばとホール)

大病人
1993年/ITAMIFILMS/1時間56分
 
監督・脚本=伊丹十三
撮影=前田米造
音楽=立川直樹、本多俊之
美術=中村州志
出演=三国連太郎、津川雅彦、宮本信子、高瀬春奈、木内みどり
 
[ストーリー]
 余命いくばくもない指揮者が最後のコンサートに挑むという映画に監督・主演していた向井(三国)が、撮影中、病院に担ぎ込まれる。医師・緒方(津川)との間に何かとトラブルを起こす向井は、カツとした緒方の一言から自分がガンであることに気付く。緒方に頼み、告知して貰った向井は映画のクライマックス、カンタータ「般若心経」を見事指揮し、映画を撮り上げる。
 
[コメント]
 あなたが、もし、末期ガンにかかっていて、あと数カ月の命だといわれたらどうするだろうか。
 この映画は、どうせ死ぬなら自分の望みどおりに死にたいという映画監督と、死とは敗北を意味し、少しでも命を延ばすのが使命だと考える医師との人間同士の激しい、ぶつかりあいを描いたもので、中には、患者である映画監督の作品で、ガンが扱われていてその劇中劇との対比が妙な味を出していておもしろい。また苦しみに耐えきれなくなって自殺しようとする場面や、末期ガンで肺や気管に転移していて咳やたんがひどいので喉に穴を開けて、たんをとっていて苦しんでいる患者の姿など非常に生々しい場面もあってとてもインパクトのある映画である。
 見所は、SFX技術を使って自殺をはかった主人公の臨死体験のシーン。また、劇中劇の中に出てくる般若心経をオーケストラをバックに唱えるシーンは迫力がある。この手の話はだいたいが悲壮感に満ちていて暗い内容のものが多いが、この映画は伊丹作品らしく深刻な内容を扱っていながらもエンターテイメント性に富んだ仕上がりになっている。 (武)

許されざる者
UNFORGlVEN
1992年/アメリカ/マルパソ・プロ/ワーナー・ブラザーズ配給/2時間11分
 
監督=クリント・イーストウッド
脚本=デヴィッド・ウェブ・ピープルス
撮影=ジャック・N・グリーン
音楽=レニー・ニーハウス
美術=ヘンリー・バムステッド
出演=クリント・イーストウッド、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン
 
[ストーリー]
 列車強盗や殺人で悪名を轟かせたガンマン、マニー(C・イーストウッド)も結婚を機に銃を捨て、3年前に妻を亡くしてからは二人の子供を育てながら農場を営んでいた。そこヘキッドという若者が、娼婦に重傷を負わせた二人のカウボーイに千ドルの賞金が懸かっているとマニーに持ち掛ける。生活に困っていたマニーは、かつての相棒ローガン(M・フリーマン)を誘って3人で町に乗り込む。町は英雄気取りの保安官ビル(G・ハックマン)が強引なやり方で牛耳っていた。二人のカウボーイを射殺し、3人は千ドルを手に入れるが、老いを感じて先に帰った口一ガンがビルにつかまり、殺された上に町中でさらし者になる。怒ったマニーはビルのいる酒場に一人乗り込む。
 
[コメント]
 この映画は男の映画である。
 唐突だがそれがこの映画を観ての第一印象である。こう書くと馬鹿みたいに単純に思われるだろうが、それは紛れもない事実であり、この物語を語るのにはその一言に尽きる。イーストウッド扮する主人公の男はどうしようもない悪人だったが、美しい妻との出会いにより、ただの農夫になってしまう。見掛けは強い男かもしれないが、それはそうしたくて強いのじゃなく本当はそんな自分が愚かで情けないと思っていて、自分の存在を認めてくれる他者を求めていたのである。そんな他者が男の妻であったのだ。そんな他者がいれば男は本当の自分でいられるのである。それはこの男だけじゃなく、どの男もそうじゃないのか。もっと言えば男女間わず、人というのはそんな他者を常に渇望しているとも言えるだろう。
 こんなことを書いていて思い出すのは宮崎駿の描いた「ルパン三世」の姿である。ルパンについて宮崎氏いわく、「自分でやっていることの愚かしさを知っている男じゃないと好きになれない」…。イーストウッドもそんな気持ちであの男を描いたに違いない…。 (暢)