フオレストガンプ/一期一会 TOM HANKS IS FORRESTGUMP |
1994年/アメリカ/ウェンデイ・ファイナーマン・プロダクション/UP配給/2時間22分 |
監督=ロバート・ゼメキス 原作=ウィンストン・グルーム 脚本=エリック・ロス 撮影=ドン・パージェス 音楽=アラン・シルヴェストリ 美術=リック・カーター 編集=アーサー・シュミット 出演=トム・ハンクス、サリー・フィールド、ロビン・ライト、ゲイリー・シニーズ |
[ストーリー] |
人よりIQが低く、皆からパカにされてばかりのフォレスト・ガンプ(T・ハンクス)。そんな彼に唯一好意的に接するジェニー(R・ライト)。成長したガンプは、その驚異的な俊足に目をつけられフットボール選手として大学に進学。指示に従順なガンプの行動と実直さは戦争でも発揮され、帰還後は卓球の選手として名を挙げる。その後も戦場で知り合ったババとの約束を守り、漁船を入手し、エビ漁を手がけて財産を築くなど、地位や名声を次々と手に入れる。しかし彼が常に求めていたのはジェニーとの愛。そのジェニーが彼の前に現れて…。 |
[コメント] |
人より少し知能の遅れた主人公。その激動の半生を当の本人は何でもないように淡々と生きている。そんな姿が見ていてとても羨ましい。自然でいいなあ、と。やることなすことすべてに無駄がない。そして無理がない。フットボールや卓球で名を挙げることも、戦場で仲間を助けることも、彼にとってはえらいことでも何でもないのだろう。言われたとおりにやり、思ったままにやった、ただそれだけのことなのだろう。人は誉められ持ち上げられたら、謙遜するか、いい気になるかするものなのになあ。本能の赴くままに生きるという、あるへき姿を彼は全編を通じてみせてくれる。走りたいからと走り始めて2年近くも走り続け、その間疲れたら休み、腹が減ったら食べ、眠くなつたら寝る。当たり前のことを当たり前に、何かをやろうと思つたら理由や意味は考えずとりあえずやってみる。そうすることが大事なのかな。そう考えると、僕らはどうも余計なもの(世間体とか)を背負いすぎて、自分で自分を苦しめているように思える。もっと自然体でありたいものだね、彼のように。 (山) |
静かな生活 |
1995年/伊丹プロダクション/2時間1分 |
監督・脚本=伊丹十三 原作=大江健三郎 撮影=前田米造 音楽=大江光 美術=川口直次 編集=鈴木晄 出演=渡部篤郎、佐伯日莱子、山崎努、柴田美保子 |
[ストーリー] |
ノーベル賞作家であるパパ(山崎)がオーストラリアの大学に招かれて長期間日本を留守にすることになり、ママ(柴田)も同行することとなった。後に残った3人の子供たち、兄のイーヨー(渡部)の妹のマーちやん(佐伯)、弟のオーちゃんはこの先数か月間留守番を3人で乗り切らねばならない。兄のイーヨーは障害者だがとても美しい音楽を作る才能を持つ。妹のマーちやんはイーヨーがこの世で一番美しい魂の持ち主だと信じ、一人では生きていけない彼に一生寄り添って生きていこうと決めている。そんな2人が両親の留守中に様々な人々との交流を通じて、人間の無理解や差別、恋愛などの貴重な体験を経て成長してゆく。 |
[コメント] |
私事で何だが、この作品の撮影現場に原作者の大江健三郎氏と長男の光さん親子が訪問された時の記者会見に同席したことがあった。その時にとても印象深かつたのが、大江氏の光さんに対する接し方だった。記者からの質問に対して、即答できない光さんに大江氏が解りやすいように説明して答えをしやすいように促す。そしてはにかみながらも、ゆっくりと光さんは質問に答えてゆく。その時の大江氏の光さんに対する優しいまなざしは、高名なノーベル賞作家ではなく一人の子供の父親のまなざしに他ならなかつた。この作品を観ながら、マーちやんのイーヨーヘのまなざしをこの時の大江氏と重ねていた。マーちやんとイーヨーとの深く強い絆は、私にはそのままあの時の2人の姿に直結するのである…。 本作はこれまでの伊丹作品のように、社会性やエンターティンメント性を強く前面に押し出したものではない。あくまでも原作の大江文学の世界を忠実に措いているのだが、とかく難解だとされる大江文学を伊丹監督は誰にでも解りやすく、そしてこれまでの伊丹作品独特の映像世界もまじえた作品に仕上けている。人間の持つ優しさや、いとおしさ、誠実さ。今の殺伐とした日本の社会の中で忘れかけていたことが、この作品の全面にあふれている。「なんでもない人として生まれ、なんでもない人として死んでゆく」という宮本信子のセリフは、誰もが胸にせまる思いがするはすだ。 (亜) |