つぐみ |
1990年/松竹富士、全国FM放送協議会、山田洋行ライトビジョン/1時間45分 |
監督・脚本=市川準 原作=吉本ばなな 撮影=川上晧市 音楽=板倉文 美術=正田俊一郎 出演=牧瀬里穂、中嶋朋子、白島靖代、真田広之 |
[ストーリー] |
生まれつき身体が弱く、甘やかされて育ったつぐみ(牧瀬)はわがままな18歳の少女。死の恐怖と背中合わせの日常を送っているためか、その不思議な生命力にまりあ(中嶋)は心をひきつけられる。東京で大学生活を送っていたまりあは、つぐみとその姉の陽子(白鳥)に招かれ、高校までの時代を過ごした西伊豆へ……その故郷へと帰るフェリーの船上で、まりあは、姉妹との日々を回想する。3人の少女の小学枚の頃からの様々なエピソードが、あたかもアルバムのページをめくる如く展開する。やがてまりあは故郷の漁港に到着し、ひと夏の出来事が始まる……。 |
[コメント] |
この作品の魅力は多々あるが、市川準監督の静かな語り口と非常に調和した舞台となる西伊豆の土地柄に注目したい。西伊豆は松崎町———下田よりバスに揺られること約1時間、ひと山越えればそこが松崎町。劇中まりあが父親と別れるあのバス停に到着する。町の至るところで目にとまる<灰色の漆喰地に連なる白いデコボコの×印>の「ナマコ壁」が印象的。冒頭、まりあが到着する漁港の目と鼻の先につぐみの家である旅館「梶寅」は存在する。道一本挟んだ離れに渡された渡り廊下が印象深いこの建物は、神社が隣接し不思議な雰囲気を醸し出している。つぐみが歩いた小道、渡った橋、訪れた美術館、そしてあの海岸……。そこには映画『つぐみ』の全てが存在している。物語のなかを駆け巡る少女たちのようにキラキラと輝く水面に目を奪われ時間が経つのも忘れてしまう。———ひなびたその港町は安らかなひとときを与えてくれる。この映画に魅せられたあなた、是非一度「松崎」を訪れてみてはいかがだろう……。(伊豆急下田駅からバスは婆娑羅峠経由堂ケ島行きなど) (学) |
病院で死ぬということ |
1993年/中高年雇用福祉事業団、オプトコミュニケーションズ、スペースムー、テレビ東京/1時間40分 |
監督・脚本=市川準 原作=山崎章郎 撮影=小林達比古 音楽=板倉文 美術=間野鏡雅 出演=岸部一徳、塩野谷正幸、石井育代、橋本妙 |
[ストーリー] |
現代、最も多い死因の一つであるガン患者のいくつかのエピソードを通して、生と死、家族の絆、人間の生きざまをしみじみと問いかける一作。二人部屋の病室でベットを並べる老夫婦。水入らずでの病院生活もつかの間、老婦人は他の病院へ移ることとなる。大部屋へ入ってきた40代の男性。手術が終わり退院するも、成功には至らず、やがて再入院。個室での治療に神経が高ぶっていく。苦労して子育てを終え、さあこれからという時に入院となった婦人が、自分の本当の病名は何なのかと脅えている。そんな患者の人々の不安と苦痛、家族の思いに向き合いながら治療に心を傾ける医師と看護婦の姿があった……。 |
[コメント] |
観るたびに泣けてくる。そんな映画だ。悲しくて泣くのではない。切なくて泣くのだ。もうすぐ死ぬということを受け入れつつ、それでも治療を続ける患者。そして、添い続ける家族。その姿が胸に迫ってきてどうしようもなくなる。市川監督は、普段見落としがちな健気に生きる人々のささやかな喜びを実に穏やかな優しい眼差しですくいとっていく。生きるということは何も大げさなものではない。偉い人になる必要なんてないし、お金持ちになる必要もない。喜びを感じ取れる、そんな日々を送れるだけで満ち足りた思いを砲けるはずだ。そしてそれは気持ち一つで得られるものだ。自分の足で自由に歩き回れる喜び、好きなものを食べられる喜び、家族や友人と同じ時間を共有する喜び。謙虚さがあれば感じ取れるそれら。難しいことではない。誰でも手に入れられるはずだ。できるはずだ。そんな気持ちにこの映画はさせてくれる。「病院は死ぬための場所ではなく、よく生きるための場所であってほしい。」その言葉が強く残った。そのような境遇に自分が立たされた時に励みにしたい言葉だ。 (山) |
東京兄妹 |
1995年/ライトビジョン/1時間32分 |
監督=市川準 原作・脚本=藤田昌裕 脚本=猪股敏郎、鈴木秀幸 撮影=川上晧市、小林達比古 音楽=梶原由紀 美術=磯田典宏 出演=緒方直人、栗田麗、広岡由里子、手塚とおる |
[ストーリー] |
東京、下町。古い日本家屋に、早くに両親を亡くした兄・健一(緒方)と妹・洋子(栗田)が住んでいる。健一の出勤、帰宅の道筋はいつも変わらない。洋子は冷奴が好きな兄のために、毎夕なべをさげて豆腐屋に行く。そんな平凡な日常を送る兄妹の間が揺れ始める。妹のことが原因で、健一は恋人を失う。洋子は兄の友人(手塚)と恋に落ち同棲するが、あっけなく恋人は死んでしまう。行き場のない洋子は何事もなかったかのように、兄のいる家へと戻っていく。いつもの生活がまた始まる。 |
[コメント] |
時間を忘れさせるくらい、ゆっくりと、淡々と時が流れていく。ここでも風景と人間をじっくりと、時に優しく見つめているような市川準独特の空気があふれている。その空気は、いつも掴みきれないところがある。そこに市川監督の魅力があると感じた。『東京兄妹』は、小津安二郎の作品を意識したものだという。それは町並み、木造家屋、冷奴などといったものだけでなく、兄と妹の関係にも同じことが言えるだろう。妹がなべを持って買い物している最中に、車に乗った友人とばったり出会うシーンがある。「何してるの」「買い物」「なべ持って?」とても面白いシーンである。この兄妹だけ時代が違うというか、今の人たちには忘れられている<日本の家庭>のようなものが感じられる。都会(東京)の喧騒さを嫌う気持ちも込められているのだろうか。淡泊に見えるが、ドラマがある。そこに流れる時間の密度は濃い。二人の間にはあまり会話はないが、兄はとっても妹思いなのだ。 (七) |
トキワ荘の青春 |
1996年/カルチュア・パブリッシヤーズ/1時間50分 |
監督・脚本=市川準 脚本=鈴木秀幸、森川幸治 撮影=小林達比古 音楽=清水一登、れいち 美術=間野重雄 出演=本木雅弘、大森嘉之、さとうこうじ、阿部サダヲ、桃井かおり |
[ストーリー] |
昭和29年、手塚治虫が住んでいたトキワ荘に漫画家を志す若者たちが次々と集まってきた。貧しさのなかで励まし合いながら彼らは<漫画>という夢を追う。そこには、石森章太郎(さとう)、赤塚不二夫(大森)、藤本弘(阿部)、安孫子素雄、鈴木伸一、そして主人公・寺田ヒロオ(本木)などの若き漫画家たちの姿があった。当時はその地位をまったく認められていなかった「<漫画>に市民権を」と、新漫画党を創設する。そしてトキワ荘に育った漫画家たちのなかからは、日本の漫画界の第一線で活躍する漫画家になった者もいれば、ひっそりとトキワ荘を去っていく者もいた……。『この映画は今から40年ほど前に「トキワ荘」いうアパートに暮らしていた、若い漫画家たちの青春を、史実に基づいて描いたフィクションです』 |
[コメント] |
第一線で活躍する実在の異才漫画家たちの若き日々の情熱と友情を描いたノスタルジックな青春映画。トキワ荘の漫画家たちの他に、つのだじろうや、つげ義春、水野英子まで出てくる。こんなに多くの漫画界の巨匠たちが同じ場所(トキワ荘)に集っていたなんて……。漫画が、ギャグやバイオレンスと多様化、商業化していく新しい時代の波のなかで、純粋な児童漫画にこだわりを持ち、トキワ荘と漫画をあとに去っていく主人公・寺田ヒロオが切ない。役者の雰囲気にしても、当時の東京の古いイメージがとても自然に出ていて、「トキワ荘」がとてもリアルに再現されている。日常的なエピソードやちょっとした台詞がとてもリアルに心に染み入ってくる。こんな時代を経て、「ドラえもん」も「おそ松くん」も「サイボーグ009」も生まれてきたんだな、と思うと彼らの漫画をもう一度読み返したくなっちゃいます。手塚先生も、藤子・F・不二雄さんも、主人公の寺田ヒロオさんもすでに他界され、時代は流れていくものだ、と切ない気持ちになってしまいました。 (真) |