セブン SEVEN |
1995年/アメリカ/アーノルド・コペルソン・プロ/ギヤガ・ヒユーマックス共同配給/2時間6分 |
監督=デビッド・フインチャー 脚本=アンドリユー・ケビン・ウォーカー 撮影=ダリウス・コンディ 音楽=ハワード・ショア 美術=アーサー・マックス 出演=ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン、グウイネス・パルトロウ |
[ストーリー] |
雨が降りしきる大都会の朝。ベテランの殺人課刑事サマセット(M・フリーマン)はあと一週間で退職することになっており、日課となっている<儀式>、すなわち刑事の七つ道具を厳格な順番で身に付けている。そのサマセットのもとへ後任の若手刑事ミルズ(B・ピット)が挨拶に訪れる。そして、その二人の前に奇妙な殺人事件が発生し、二人は最初にして最後のチームを組んで事件に当たることになる。事件に不審なものを感じたサマセットは殺人現場に戻って、このむごたらしく殺された太った男が実は「大食の罪」によって処刑されたことを発見する。こうして、息つぐ間もなく「強欲」「怠惰」「高慢」ーと七つの大罪を模した連続殺人事件の幕は開いていく……。 |
[コメント] |
かつてアンダーグラウンド映画(あるいは写真)で試みられた手法を大胆に取り入れ、のっけのクレジット・シークエンスからただならぬ気配を伝えるデビッド・フインチヤー会心の作である。震えるタイポフラフイーに被さるカミソリをもつ手、ハサミ、死体写真ーー(その編集リズムの素晴らしさ!)、そしてエンドタイトルでもフィルムをじかにひっかいた瑕がクレジットタイトルの上を、ノイズを効果的に使用したデヴイツド・ボウイの音楽とともに跳びはねてみせる。ハリウッドのメインストリームで製作されたとは信じられないダークな美意識に貫かれた、この作品の特徴は随所に見ることができる。全体をおおう暗い照明、雨に濡れた正体不明の都市の風景、そしてなによりも凄惨でありながら、このうえなく美しいとさえ言える<芸術的な死体>の数々(撮影は『デリカテッセン』『ロスト・チルドレン』のデリウス・コンデイ)。すべてがピタリとはまって、見事の一言。この暗く陰惨な映画に、血の通った人間の存在を刻み込むのは主演のM・フリーマンとB・ピット。渋い中年男の寂寥感と若々しい青年の熱情というコンビネーションもキマっている。そして、驚愕すべきラストに向かって精緻かつ周到に仕掛けられる罠は、この二人を、もちろん観客であるあなたを、狙っている! (輝) |
12モンキーズ 12MONKEYS |
1995年/アメリカ/アトラス・エンターティンメント/松竹富士配給/2時間10分 |
監督=テリー・ギリアム 脚本=デイビッド・ピープルズ、ジャネット・ピープルズ 撮影=ロジャー・プラット 音楽=ポール・バックマスター 美術=ジェフリー・ビークロフト 出演=ブルース・ウイリス、マデリーン・ストウ、ブラッド・ピット |
[ストーリー] |
1996年12月28日、人類はミクロ以下の生物<細菌(ウイルス)>によって、その99%が絶滅した。なぜ、それが地球上のほぼ全土に同時発生し、人類に襲いかかったのか……その謎は<12モンキーズ>が握っていた。果たして、<12モンキーズ>の正体は!? その目的は!? 21世紀から使命を帯びてやってきたジエームス・コール(B・ウイリス)は1990年、1996年に立ち戻り、その謎を明らかにしようとする。しかし、それは時間刻みの恐怖の旅にほかならなかった! 危機に瀕した人類と、そしてコールの運命は!? |
[コメント] |
この作品で、まずは何はなくとも、ブラッド・ピットについてお話ししなければ、この作品は語れないというものだ。この際、主演のブルース・ウイリスも、監督のテリー・ギリアムの映像世界についても、横に置いておいて……。とにかく、本作の彼は完全に「イッてしまって」ます。おかしい、を突き抜けて「かなりヤバイ」(女子高生風に読んでください)。彼は『リバー・ランズ・スルー・イット』や『セブン』などでの、どちらかといえば<好青年>的イメージが世の中に浸透している。しかし、今回の彼は「そんなイメージなんてクソ喰らえだ!」と言わんばかりの勢いでこの作品に挑んでいる。右の目と左の日の焦点が微妙にズレてたり、首の異常な動き方といい、そして訳のわからない言葉を弾丸のようにしゃべりまくる。あれはまるで真の精神異常者そのもののようで、演技を超越した部分での<恐怖>を、観ている者は感じるはずだ。この作品で彼はアカデミー賞の助演男優賞の侯補になり、ゴールデングローブ賞を受賞している。彼を観るだけでもこの作品の価値はある、と声を大にして言いたい。最後におまけのようでなんですが、この作品の主演はあくまでもブルース・ウイリスです。彼は脇の人間にすぎないのだということを言って、この文章を締め括りましょう。 (亜) |
クリムゾン・タイド CRIMSON TIDE |
1995年/アメリカ/ドン・シンプソン-ジェリー・ブラッカイマー・プロ/ブエナビスタ配給/1時間55分 |
監督=トニー・スコット 脚本・原案=マイケル・シーファー 撮影=ダリウス・ウォルスキー 音楽=ハンス・ジマー 出演=デンゼル・ワシントン、ジーン・ハツクマン、ジョージ・ズンザ |
[ストーリー] |
199X年。ロシアの国粋主義者が旧ソ連軍の反乱派勢力と手を結び、シベリアの核ミサイル基地を占拠。アメリカと日本を攻撃するという<キューバ危機>以来の第三次世界大戦勃発の恐怖に直面。核ミサイル搭載のアメリカ原子力潜水艦<アラバマ>は、それを阻止すべく出動、敵潜水艦と臨戦体制のなか、ミサイル発射を命令する通信がとだえた…。“発射’’か? “中止”か? <アラバマ>内では二つの勢力に分かれてしまう。はたして……。 |
[コメント] |
安田伸が死んだ。まるで、下手なダジャレを言ってしまっているようだが、悲しい現実である。ハナ肇さん、石橋エータローさん、そして安田伸さんである。これで、クレージーキャッツは残り4人となってしまった。クレージーは自分が今まで影響を(人生を勉強するという意味で)受けてきたグループの一つであった。残りは、ローリング・ストーンズと、レッド・ツェツペリン(凄い組み合わせだ…)である。これはあくまで<グループ部門>なので他からも当然色々な影響を受けている。あえて、上記の3グループから共通点を見つけるとしたら、<ミュージシャン>、<時代の先駆者>、そして<言葉使いがシャレている>ことだろうか? かなり強引ではあるがその3点である。才能のある人は大抵、話を聞くだけで面白かったりする。内容も当然の事ながら、重要なのはそれを表現する<言葉使い>と<話術>である。ミュージシャンであれば歌詞であり、コメディアンであればギャグ、映画だとセリフに現れてくる。ここで、やっと『クリムゾン・タイド』の話。ストーリーは当然見てもらえばわかると思うが、私がピック・アップするのは<セリフ>である。かなりヘヴイな内容なので見落としがちだが、結構言葉使いがシャレている。ま、セリフに関してはタランティーノが関わっているので当然といえば当然かもしれないが……。特に<馬の種類と産地>の話は、ラムジー艦長とハンター副長の性格の違いと、二人の間に流れる独特の緊張感を表現するのに一役かっている。 (菅) |
ヒート HEAT |
1996年/アメリカ/フォワード・パス/日本ヘラルド配給/2時間51分 |
監督・脚本=マイケル・マン 撮影=ダンテ・スピノッティ 音楽=エリオット・ゴールデンタール 美術=ニール・スピサック 出演=アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ヴァル・ギルマー、ジョン・ボイト |
[ストーリー] |
L.A.アンダーワールド。ニール(R・デ・ニーロ)率いるプロの犯罪集団。彼は長い重罪刑務所暮らしをした経験上、警察の気配を感じたら30秒以内にその場を逃げ去ることをモットーとしている。そして、ロス市警強盗・殺人課の切れ者警部ヴインセント(A・パチーノ)。捜査の鬼で、それが災いして過去2度の離婚歴がある。それまで出会う事のなかった二人の男が、ある強盗事件をきっかけに出会ってしまう。同じ匂いを持つ二人は、静かに、そして激しく火花を散らし激突するのだった……。 |
[コメント] |
最近のアクション関係の映画は、男対男の対決ものが多いようだ。まあ今に始まった事ではないが、この『ヒート』の前に上映される『クリムゾン・タイド』も男と男の対決物の構図をとっていた。が、しかし『クリムゾン・タイド』と『ヒート』はあきらかに感触が違っている。『クリムゾン・タイド』は、モラルとモラルの 激突であったのに対し、『ヒート』はロマンチシズムのぶつかりあいである。いわゆるニュアンスこそ違え、アメリカ版『男たちの晩歌』と言えるほど、濃密な男のロマンがこの作品にはたちこめている。この作品のキャッチ・フレーズでは、かなりのアクション・シーンが期待できるが、実際はそうではない。また、白昼の銃撃戦がラストにあるともうたっているが、そのあともかなりのエピソードがつづく。とは言いつつも、銃撃戦はかなりの緊迫感が漂い、迫力満点である。なにか、箇条書きっぽい文章になってしまって、筆者が何を言わんとしているか理解に苦しんでいる方もいらっしゃるかもしれないが、これが私のこの映画の感想であり、観るときのポイントであると思っている。つまり、宣伝文句にある<迫力のアクション・シーン>は忘れて、二人の男たちの<ロマン>に酔いしれるべきである。でなければ、私の様に映画に乗り遅れて、3時間近くの間退屈な時間を過ごしてしまうからだ。つまり、観るべき視点を誤ると、良い映画もつまらなくなるということです。気をつけよう。(余計なお世話か……。) (菅) |