オープニング企画:フォーラム推薦作品

11月22日 「オープニング企画:フォーラム推薦作品」 (やまばとホール)

●Time Table●
12:00−12:10
12:10−14:52
15:10−16:51
17:10−18:37
オープニング
イングリッシュ・ペイシェント
變瞼 この櫂に手をそえて
東京夜曲

イングリッシュ・ペイシェント
THE ENGLISH PATIENT
1996年/アメリカ/ソウル・ゼインツ・プロ/松竹富士配給/2時間42分
 
監督・脚本=アンソニー・ミンゲラ
原作=マイケル・オンダーチェ
撮影=ジョン・シール
音楽=ガブリエル・ヤール
美術=スチュアート・ブレイク
編集=ウォルター・マーチ
 
[ストーリー]
 第二次世界大戦末期、砂漠の飛行機事故でアルマシー(R・ファインズ)は全身に大火傷を負う。記憶喪失で身元不明の彼は<イングリッシュ・ペイシェント>と呼ばれ、従軍看護婦のハナ(J・ビノシュ)に廃虚の修道院で看護されることになる。
 やがて爆弾処理のため中庭にテントを張り住みはじめるキップと、何か訳ありで納屋に居候することになるカラヴァッジョ(W・デフォー)。
 挙動不審で怪しげなカラヴァッジョに警戒する一方、ハナはキップと恋に落ちていく……。
 彼女の献身的な看護のおかげで、かつて砂漠の地で愛をかさね合った女性キャサリン(K・スコット=トーマス)のことを思い出すアルマシー。
 断片的に甦るおぼろげな記憶を頼りに彼は語りだし、謎が徐々に解き明かされていく。
 そして終戦の日を迎え、カラヴァッジョが語る衝撃的な過去に、アルマシーは全てを思い出す……。
 
[コメント]
 イギリスのブッカー賞を受賞したマイケル・オンダーチェの原作をアンソニー・ミンゲラが脚色、監督している。
製作期間に3年もの月日を費やしたという壮大なスケールで描かれたこの作品は、アカデミー賞9部門受賞という快挙を成し遂げた。
 アルマシーとキャサリンの情熱的で官能的な愛。
 ハナとキップの純真で可憐な恋。
 この対照的な過去と現在2つのストーリーを、現実と夢のはざまにさ迷うアルマシーの記憶を界面に巧妙に繋ぎとめている。
 「映画を見終わったとき、私の頭にはメッセージなどない。
 あのシーンの、あの人物の表情だけがある。
 あの瞬間、この瞬間が残り、それに深く心を揺り動かされる」とオンダーチェ監督が語るように、印象的な美しいシーンが数多く出てくる。
 なかでもキップがハナに壁画を見せるシーンなどは『ポンヌフの恋人』でジュリエット・ビノシュが夜の美術館に忍び込んで絵を見るシーンを彷彿させるものがあった。
 従軍看護婦を演じた彼女はこの役でアカデミー助演女優賞に輝いている。 (斎)

變瞼 この櫂に手をそえて
1996年/中国、香港合作/北京電影学院青年電影制片所、ショーブラザーズ/東映配給/1時間41分
 
監督=ウー・ティエンミン
原作=チェン・ウェングイ
撮影=ムー・トゥュアン
音楽=チャオ・チーピン
出演=チュウ・シュイ、チョウ・レンイン、チャオ・チーガン
 
[ストーリー]
 四川省長江のほとり、瞬時にさまざまなくまどりの仮面をとり替え百面相を見せる老芸人(チュウ・シュイ)は變瞼王と呼ばれ、一子相伝の芸を残そうと男の子を買い取り愛情を注ぐが、実は女の子と知り失望する。身寄りのないこの少女(チョウ・レンイン)の面倒をみることになるが、老人を一途に慕う少女の気持ちがかえって彼を窮地に追い込んでゆく……。
 
[コメント]
 中国映画『古井戸』で知られる呉天明監督は9年ぶりにアメリカから中国に戻り、これまでの作風と違い今の中国でも薄れてゆく人間味と、心の絆をとり戻すきっかけになればとの思いで製作したという。
 山水画のような雄大な大河の流れ、石畳の続く細い道、瓦屋根の家々のいつも湿ったような町のたたずまいのなかで中国の伝統や風習をおりまぜ、人間の心豊かさ、情の深さを描いている。
 主演はNHK「大地の子」の父親役を演じた名優朱旭(チュウ・シュイ)。この變瞼という芸を特訓し見事にそれを披露する。それにもまして目を見張るのが子役の周任瑩(チョウ・レンイン)。その目は少女のすべてを物語る。
 また登場する「人観音」を演じる四川劇の役者や猿も、老人と孤児のきずなを巡る話に暖かい役割を果たす。
 この東洋的な物語の映画は一見古風であるが、人間の愛情、心の交流というテーマで現代にも十分意味があり、基本的な心の琴線に触れて自然な感動を呼ぶ。 (師)

東京夜曲
1997年/衛星劇場、近代映画協会/1時間27分
 
監督=市川準
脚本=佐藤信介
撮影=小林達比古
音楽=清水一登
美術=野間重雄
出演=長塚京三、桃井かおり、倍賞美津子、上川隆也
 
[ストーリー]
 東京の下町に、数年前に家族を残して失踪した康一(長塚)が帰ってきた。何事もなかったかのように店の仕事を手伝う。
 店の前にある食堂を切り盛りしていたのはたみ(桃井)だった。康一とたみはかつて恋人同士だった。しかし、たみの夫も今はいない。
 淡々と下町の日常は過ぎていったが、二人は互いに意識しないようにすごしていた。いや、だからこそ濃密な空気が二人を包んでいった……。
 
[コメント]
 モントリオール国際映画祭で監督賞を受賞した市川準の新作である。
 こういった市井の人々を撮らせると、市川演出は素晴らしく冴えた演出を見せる。
 いや、ストーリーよりも、人々の食事や、会話、たたずまいというものを撮りたくて市川準は映画を撮っているのではないか? と考えてしまう。
 多分そうだろう。人がそこにいるということ。暮らしているということ。恋をするということ。若いということ。若くないということ。会いたいということ。寂しいということ。
 一見なんでもないことが、市川準の世界では豊かな世界となって再発見される。
 そう、あまりにも小さすぎて近すぎるが故に、我々は自分たちの世界が理解されないと思いこんでいる。
 世界の中で特殊であると思いこんでいる。だが違う。ここにあるのは、普遍的な人々の暮らしなのである。
 東京の人々もベネチアの人々もモントリオールの人々も、誰しも人と暮らし、悩み、恋をするのだ。だからこそ、この作品は遠いモントリオールで評価されたのだ。
 日本が、日本映画が特殊だなどと思ってはいけない。
 自分の国の映画が外国で評価されてから、素晴らしいことに気づくのはちょっと恥ずかしいことかもしれない。
 でも、それで観客が一人でも増えてくれるなら喜ぶべきことだ。もっと日本に日本映画に我々は自信を持つべきだ。「私であること」に胸を張って生きていけばそれでいいのだ。  ともかく、市川監督おめでとうございます。そしていい映画を「ありがとう」。 (鬼)