戦後ミステリー&サスペンス特選1

11月26日 「戦後ミステリー&サスペンス特選1」 (やまばとホール)

●Time Table●
12:00−12:10
12:10−14:00
14:20−15:58
16:20−19:03
オープニング
張込み
雁の寺
五瓣の椿

張込み
1958年/松竹/1時間50分
 
監督=野村芳太郎
原作=松本清張
脚本=橋本忍
撮影=井上晴二
音楽=黛敏郎
美術=逆井清一郎
出演=大木実、宮口精二、高峰秀子、田村高広
 
[ストーリー]
 二人の刑事(大木・宮口)が、横浜から長距離夜行列車(鹿児島行)に乗り込む。彼らはピストル強盗犯人を追って、九州・佐賀に向かったのである。犯人(田村)は山口の田舎の出身だが3年前に故郷を出、東京で働いたが失職、日雇人夫をしたり血液を売ったりで東京の生活もイヤになり、胸をわずらったこともあり自暴自棄になっているよう。その犯人には3年前の恋人があり、その女(高峰)は佐賀に嫁にいっている。犯人は、女を忘れられずそこに立ち寄るかもしれぬということで、佐賀の女の家を張ることにしたのである。女の家の前には具合よく安宿があり、二人の刑事はその二階に張り込むことにする。年も離れ、子供もいる銀行員のところに嫁いできた女の日常は、まことに平凡な判で押したようなものだった。果たして犯人が他人の妻となった女の家にあらわれるものか疑心暗鬼の念にさいなまれながら、二人は張り込みを続ける。
 
[コメント]
 この映画がつくられて、もう40年近くの歳月が流れている。この映画のなかに出てくるC型の蒸気機関車に引っ張られる長距離列車、通路に座り込み腰を痛めながらの長い旅行、天井にある扇風機と窓から入る風にわずかの涼を求めるけだるい暑さ……古い記憶がよみがえってくる。この長い導入部で、記憶の奥に沈んでいた過去が、時代がよみがえってくる。佐賀の市内の堀端で泳ぐ子ども、金魚売りの声、ラジオの野球実況放送……。そういったディテールの中で、平凡な生活を送っている女の日常が描かれる。毎日100円の生活費を受け取り、きまった時間に夫と子どもを送り出し、洗濯、そうじ、買い物と日常に埋没している女は、年よりもふけてみえる。生気もない、何の楽しみがあるのだろうかと思われる女に突然訪れた、短い生き生きした生命力にみちみちた数時間……。大木実扮する若手刑事の目から眺めた女の姿に、平凡と情熱、現実感と女の哀しさがオーバーラップして私たちの心を打つ。 (水)

雁の寺
1962年/大映/1時間38分
 
監督=川島雄三
原作=水上勉
脚本=川島雄三、舟橋和郎
撮影=村井博
音楽=池野成
美術=西岡善信
出演=若尾文子、高見国一、三島雅夫、中村雁治郎
 
[ストーリー]
 画家南嶽(中村)は寺に雁の襖絵と、囲い者の里子(若尾)を残し逝ってしまった。行き場のない里子は寺の住職慈海(三島)の世話になる。寺には生まれながらに不幸な少年僧慈念(高見)が仕えていた。里子は陰気だと気味悪ながらも慈海に無情に酷使される慈念を不憫に思う日々が続く。幼名捨吉の由来を知った里子はいっそうの憐れみを禁じ得ず、慈念を犯す。里子の情に自分を捨てた母への希求や憎悪を見出す慈念。そして苛酷な慈海への許し難い憎悪が慈念を支配する。ある夜、慈海が外出先の帰途より消えた。一方、寺には葬儀が持ち込まれる。戻らぬ慈海、不安に苛立つ里子、無表情に勤める慈念。葬儀はすすみ、重い棺が担がれ土中に埋められていった。後任の住職も決まり、去ってゆく慈念の様子に疑惑と恐れを抱く里子。その時雁の鳴き声があたりを渡る。雁の襖に駆け入った里子が見たものは、餌を待つ子雁を残し、母親雁がむしり取られたささくれ立った穴跡だった。
 
[コメント]
 文芸作の映画化は新鮮味に欠けると常々思っていますが、川島雄三監督は水上勉の世界をより濃密にスリリングに再現しています。間のとり方が長く、時代背景、寺という場面設定、孤独を抱えた人間たちの醸し出す空気を音と共にじわじわと充満させてゆきます。寡黙で張りつめた画像は埋葬の場面でピークに達するのですが、カワシマクラブなるものがあるのがうなずける映像です。慈念は水上の分身なのでしょうか。救いようのない心の闇を文学にすることで昇華させ得、映画となることでより普遍性を持ち得ました。しかし、このような切実さを饒舌軽薄な今日では持ち続けられず、茶化し風化させてしまうので、文化は成熟しにくくなっていると思うのです。原作にはないエピローグで、襖の修復後の母親雁が子雁と逆方向なのが象徴的で心憎いところです。 (狩)

五瓣の椿
1964年/松竹/2時間43分
 
監督=野村芳太郎
原作=山本周五郎
脚本=井手雅人
撮影=川又昂
音楽=芥川也寸志
美術=松山崇
出演=岩下志麻、田村高広、伊藤雄之助、加藤嘉
 
[ストーリー]
 山本周五郎の同名小説を映画化。父の恨みを晴らすために、好色な母と関係した男たちを誘惑し、一人ずつ殺害していく娘おしの(岩下)の復讐を描く。その男たちは、三味線弾き、婦人科医、札差屋の倅、芝居茶屋の出方、袋問屋の主人とさまざまだが、その男たちの死体の傍らにはいつも一輪の椿が残されていた……。
 
[コメント]
 いまでこそ岩下志麻は、<極道の妻たち>シリーズや『鬼畜』など男勝りの大変な女性を演じているが、この作品までの彼女は清純なお嬢さん役ばかりで、またそういう役以外をやれるなんて誰も考えられなかった。それがこの作品で彼女は世間の評価を見事に変えてしまった。浮気な母親を持たなければ、おしのはごく普通のお嬢様で誰かいい人のもとに嫁いで幸わせな人生を送っただろうに。それが父の恨みを残した壮絶な死でおしのの人生は一変し、父の仇を打つために変わらざるをえなくなった。悪賢い男たちを相手に、健気におしのなりに戦って殺して行く過程はハラハラ、ゾクゾクさせる。もともと顔に感情を表さない人だが、それがかえって冷たく写って迫真性を増している。その後の気位高い高慢な役柄に無表情を生かしたのはこの作品が出発点になっているのではないかと思う。彼女にとって清純派から演技派女優へ脱皮したまさに記念碑的作品だ。野村芳太郎監督にしては珍しい時代物であるが、タッチはどことなく現代的。この監督のレパートリーの広さを感じさせる、じっくり見せる文芸大作だ。私は昔、自由ヶ丘で『砂の器』を観ていた時、休憩時間に館主から紹介されて客席から照れくさそうに手を上げ挨拶された監督を拝見した。封切館でもないのにこんな身近に会えるなんて全く予想もしていなかったのでえらく感動し、私的に自分の作品を見ていた監督が嬉しくてファンになってしまった。『砂の器』はその後も衰えることなく何回もアンコール上映された。 (眞)