11月23日 「地域がテーマ。」 (ベルブホール)
●Time Table● | |
11:00−11:30 11:50−13:55 14:25−16:03 16:30−17:25 |
都市はじめて物語 地域をつむぐ 奈緒ちゃん ふれあうまち |
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11:00−11:30 11:50−13:55 14:25−16:03 16:30−17:25 |
都市はじめて物語 地域をつむぐ 奈緒ちゃん ふれあうまち |
都市はじめて物語 |
1996年/大成建設、桜映画社/16mm/30分 |
演出=原村政樹 脚本=北里宇一郎 撮影=西川浩史 編集=近藤光雄 音楽=山崎宏 出演・語り=鈴木清順 |
[コメント] |
確かに戦後から日本は変わった。今まで閉ざされていた洋風ものが、一気に人々の生活の中へと押し流されてきた。現代には失われがちな、幸せともいうべき輝きの強かった昭和20年代、20年代。地下鉄に乗って家族でデパートに行くのが夢だったなどという時代。建築物や人々の生活習慣、物の価値観の変化、都市の移り変わりを古い貴重な映像と共に探訪していく。案内人は鈴木清順。 (七) |
地域をつむぐ |
1996年/「地域をつむぐ」製作実行委員会、岩波映画製作所/16mm/2時間5分 |
監督=時枝俊江 撮影=小林茂 録音=鈴木彰二 音楽=石原真治 語り=広瀬修子 |
[コメント] |
具体的にまず何が必要か。何をするのか。この作品は「地域がテーマ」の上映作品のなかで、最もそれを強く主張している。ここでは医療のことだが、過疎化の進む田舎などでは、お年寄りが多く、病院などの医療福祉環境も限られてくる。だからこそ医師や保健婦さん、そしてボランティアらがうまく機能をして地域住民を支えていかなくてはならない。この映画の舞台・小海町では、ほんの少しずつそれが機能し始めようとしている。 患者の症状・状態について医師が保健婦と密に連絡を取り合い、そしてなによりも医師と家族との信頼関係を保つことに力点がおかれる。この作品では、高齢者に対しての医療についてが主に描かれているが、今日高齢者問題については話題にのぼることが多く、20代の自分にとっても決して他人事ではない所まできている。例えば、歳をとれば老人ホームなどの施設に入れればいいという考えより、お年寄りも地域のなかで生活できるような、住民のニーズにあった医療設備を整える施策を考え、進めていくことがこれからは先決なのかもしれない。その向こうには「自立」という言葉が見えてくる。お年寄りの多くは「自分の家で死にたい」と強く願う。それは自分の居場所を持ちたい、持っていたい、ということのあらわれなのだろうか。やすらかな死の実現をめざして、医療の最終的ゴールはそこに向かうのか……。「これからの医療は、地域づくりのなかに位置づけられる必要も出てきた。」地域活性化として地域住民と共に理解・協力をし、これからの地域医療の課題にぶつかっていかなくてはならない。それらが地域を支え、町を支え、人を支え、私を支える。清水先生はみんなに愛されてる先生だ。 (七) |
奈緒ちゃん |
1995年/奈緒ちゃん映画製作委員会、デコ企画/16mm/1時間38分 |
演出=伊勢真一 撮影=瀬川順一 音楽=木村勝英 編集=熱海鋼一 語り=伊藤惣一 |
[コメント] |
『奈緒ちゃん』を初めて知った時、てんかんという言葉を初めて聞いたような気がして、思わず辞書を引いてしまった。<てんかん>発作的にけいれんを起こし、口からあわを吹いて人事不省となる病気。この作品の中には、確か発作を起こしたシーンはなかったような気がする。なぜだ。映画は9歳の奈緒ちゃんが成人式を迎えるまでの12年間の日々を綴っている。撮影は一昨年亡くなられた瀬川順一氏が手がけた。“障害者”が映画のテーマそのものではない。奈緒ちゃんという一人の少女と家族との結びつきや日常が主題だ。周囲の人たちに支えられながらも、そんなことさえも気づかないといった感じで無邪気にスクスク成長していく奈緒ちゃん。伊勢監督の姉でもある奈緒ちゃんのお母さんはこの映画のもう一人の主役だ。障害児としてでなく、一人の娘、人間として奈緒ちゃんと厳しく、優しく正面から向かいあっている。そして、決して閉じこもることなく障害者の理解、浸透を目指して地域へと飛び出している。公園でよその子供たちと一緒に遊ぶ。これってすごく夢のような話ですよね。少しでもそれができている奈緒ちゃんはちょっと幸せ。たまたま自分の子に障害をもった子が生まれたから、それに対してお母さんは一所懸命立ち向かい、頑張り、素敵な人になったのかもしれない。じゃあだからといって逆にそういう子がいなければ、あのお母さんのような素敵な人にはなれないのか。そうじゃない。そういう人たちをこちらは暖かく迎えてあげる。理解をする。公園で一緒に遊ぶ。そういうことが、ぼくらがなれる<素敵な人>なんじゃないかな。そうなりたい。この多摩では、どれほどその光景が見えるのでしょうか。あなたの近くにもきっと奈緒ちゃんはいるはず。神様に「あとで電話するね。」と言っている奈緒ちゃんがかわいい。 (七) |
ふれあうまち −向島・オッテンゼン物語− |
1995年/シグロ/16mm/55分 |
監督=熊谷博子 撮影=大津幸四郎 録音=滝沢修 編集=山村伸貴 音楽=高橋鮎生 |
[コメント] |
おいしいところを触っていった総合的映画といったところだろうか。誰だって住みよいまちに暮らしたいと思っている。じゃあ、そうするのは誰なのか。この映画の舞台は墨田区向島である。向島と言えばやはり下町。多摩などに住む僕らから見ると、下町って活気があって、みんな顔見知り、人情味が厚くて、まちのみんなが暖かい。と、いうイメージをつい抱いてしまう。でも、決してそれ全てが否定される訳ではないだろう。小さな子供が自由に路地で遊ぶ。八百屋で店主と笑いながら会話している。家族のように優しく暖かい助産婦さん。下町なら当然じゃない? とも思えてしまう。だが、僕らのまちにないものを持っている。この映画のなかでそれはお目にかかれるだろう。映画のまかで<ボランティア>という言葉が多々出てくる。もしかしたら<まちづくり>の中心的要素は<ボランティア>にあるのかもしれない。ボランティアってひとつじゃなく広大なジャンルに分かれるが、その様々な活動のなかで結局みんなが見つめているのは<地域>というものじゃないだろうか。ボランティア活動の面白いところは、横とのながりができることだ。それは単なる日常会話ではない。そこに住む人々が中心となり、人と人との関わりを築いていくことが<まちづくり>への近道であり、一番大切なところであろう。そして行政はできる限り市民に開いていかなければならない。それが実現へと結びついた時は、きっと素敵であろう。向島の人たちも素敵に映っている。隣の家の人の顔も知らない位、人々のつながりが薄いと言われがちな現代だが、別に視線を避けているわけではない。ただキッカケがないだけ。みんな自分の住むまちを愛している。だからお祭りとかが生まれ、一所懸命盛り上げようとしている。ふれあっている。そう、それで誰が住みよいまちにするのか。「まちは変えようと思えば、自分たちの力でかえられるんだ。」確かにそう考えさせてくれる映画だ。TAMA映画フォーラムも、みんなと同じことを考えている。 (七) |