オープニング企画:フォーラム推薦作品

11月20日 「オープニング企画:フォーラム推薦作品」 (やまばとホール)

●Time Table●
12:00−12:10
12:10−14:05
14:30−16:27
16:50−18:42
オープニング
<特別先行プレビュー> はつ恋
ライフ・イズ・ビューティフル
鉄道員(ぽっぽや)

<特別先行プレビュー作品>
はつ恋
1999年/『はつ恋』製作委員会(エンジンネットワーク、TBS、バンダイビジュアル、角川書店、電通、デスティニー)製作/東映配給/1時間55分
 
製作=安田匡裕、原田俊明、阿部忠道
企画=小滝祥平、濱名一哉、川城和実
監督=篠原哲雄
脚本=長澤雅彦
撮影=藤澤順一
美術=都築雄二
音楽=久石譲
編集=奥原好幸
出演=田中麗奈、原田美枝子、真田広之、平田満、佐藤充、仁科克基
 
[ストーリー]
 <なっちゃん>こと田中麗奈の映画主演第2作。予備校生聡夏(田中)は一人娘、父(平田)、母(原田)との平穏で幸福な日常に、ある日突然さした影は……。母が悪性の腫瘍で入院したのだ。母の古いオルゴールに封印されていた、若き日の母の投函されなかった手紙。その宛先の男性(真田)を探そうと、聡夏は母の故郷へと向かうのだが。
 
[コメント]
 20世紀末のシンデレラガール田中麗奈の魅力が詰まった、贈り物のような映画である。中高年には理想の娘や孫。彼女の同世代には理想の友達やガールフレンドとして。本当に可愛く、はつらつとみずみずしく、爽やかで、少しばかりきかん気で、まさしく「なっちゃん」そのものの柑橘類少女である。その「きかん気」の発露たる少し上がった目尻だが、やはり映画デビューの頃の藤村志保のそれに、世代の違い、時代背景の違いの差があっても、通じるものがあると思う。後者は今や、凛とした気品にかけては右に出るものがない大女優だが、田中麗奈の個性がまっすぐに育ってゆく延長線上に、藤村志保の気品を置いてみたいと思うのは私だけだろうか?
 もうひとりの女優、原田美枝子。かつて日本映画には「母物」というジャンルがあり、望月優子、三益愛子などがその代表的な女優だった。『絵の中のぼくの村』、『愛を乞うひと』に続いて本作でも母を演じた原田美枝子は、役の上でも、ひとりの女性としても、現代の母親の理想像となっているのではないだろうか。
 ところで男優陣はというと、真田広之、平田満、佐藤充の新旧おじ様たちだが、よくなっちゃんを引き立ててくれています。まあ彼女なら引き立てがいがあるってものでしょう。
 音楽は、ひっぱりだこの久石譲。メランコリックなピアノのメロディーは、ポスト坂本龍一「ウラBTTB」となるかも。 (苅)

ライフ・イズ・ビューティフル
LA VITA E BELLA
1998年/イタリア/ア・メランボ・チネマトグラフィカ・プロダクション製作/松竹富士、アスミック・エース・エンタテインメント配給/1時間57分
 
監督・脚本=ロベルト・ベニーニ
脚本=ヴィンチェンツォ・チェラーミ
撮影=トニーノ・デリ・コリ
音楽=ニコラ・ビオヴァーニ
美術=ダニーロ・ドナーティ
出演=ロベルト・ベニーニ、ニコレッタ・ブラスキ、ジョルジオ・カンタリーニ、ホルスト・ブッフホルツ
 
ライフ・イズ・ビューティフル
 
[ストーリー]
 イタリアのトスカーナ地方。ユダヤ系イタリア人グイド(R・ベニーニ)は叔父の住むアレッツオの街に本屋を開く志を抱いてやって来た。到着早々、お姫様(N・ブラスキ)と出会い、胸ときめかせる。“お姫様”こと小学校教師ドーラも婚約者がいるのだが、偶然の出会いを重ねるごとにグイドの純粋さとロマンチックな人柄に心引かれていく。叔父の勤めるホテルでウェーターの職についた彼はドイツ人医師ととんち問答を繰り広げる。ドーラとの結婚、そして息子ジョスエ(G・カンタリーニ)の誕生とグイドの幸せな生活は順風満帆に見えたが、時はまさにファシズムの横行、ユダヤ人の迫害がエスカレートする時代であった。
 
[コメント]
 “LA VITE BELLA”人生は美しい。幸薄れたとき、改めて実感する生きていることの素晴らしさを称えた作品。第71回アカデミー賞の外国語映画賞、主演男優賞をはじめとして各国の映画祭などで様々な賞を受賞した本作品は“イタリアのC・チャップリン”と称されるR・ベニーニが監督、脚本、主演を兼ね、現代の喜劇王と呼べる彼のユーモアと悲哀を散りばめている。さらに彼の実際の妻であるN・ブラスキが演ずる上品で母性愛の象徴ドーラの存在が映画の感動をさらに確かなものにしている。人生は明日があるから光り輝き、はかない。ドイツ人の子供たちとジョスエがともにお菓子を食べるシーンがある。何が彼らを隔てるのか,心がわなわな震えてしまう。そのジョスエは父の意志を継いで作家になる。これがニューシネマ的見解予想。
 ところで、今夏私は富士山に登頂した。宿泊した山小屋では外から差込む光が昼間の唯一の明かりであった。薄暗く、ロフト風の内部、二人一つの布団(汗臭くなかったことが幸いだった)。おじさん臭除臭用品が出回る現代で比較することは非常識なことと知りながら、清潔な日本で唯一“収容”を体験できるのは山岳にしかないのでは、と……。 (摂)

鉄道員
1999年/「鉄道員」製作委員会製作/東映配給/1時間52分
 
監督・脚本=降旗康男
原作=浅田次郎
脚本=岩間芳樹
撮影=木村大作
音楽=国吉良一
美術=福澤勝広
編集=西東清明
出演=高倉健、大竹しのぶ、広末涼子、小林稔侍、志村けん
 
鉄道員
 
[ストーリー]
 廃線が決まった北海道の赤字ローカル線の終着駅、幌舞この駅を頑なに守り続けた駅長の乙松(高倉)は、まもなく定年を迎えようとしていた。ぽっぽやとしての誇りを胸に,愛する妻(大竹)や娘を亡くした悲しみに耐えながらも駅に立ちつづける乙松は、ある日ホームで見知らぬ少女と出会う。
 
[コメント]
 今や乙松や幌舞駅のような人や風景は失われつつある。戦後、日本経済はめまぐるしいテンポで発展してきたが、その代償として、鉄道は単なる人を運ぶものになりつつあり、肝心の働く人間は仕事に対する情熱を失ない、仕事が単なるお金を稼ぐ手段になっていないだろうか。高度経済成長を経て、今日の日本があるのはお金を稼ぐということ以上の情熱をもった人々がいたからこそなのだと思う。乙松のような人間は今の時代でこそ珍しいが、かつては銀ぶちの眼鏡をかけてショルダーバックとカメラをさげて集団で行動していたように、そういう人たちがいたのだ。
 そういった意味でもこの映画で乙松のぽっぽや人生を振り返ると共に、集団就職などの日本の戦後史を重ねていることは意義深く、特に志村けん演じる炭坑夫の存在は欠かせない。そして、そういった人たちがいたことを忘れてはならないだろう。
 また、この映画では人に対する想いに溢れていて、乙松は一見して悲哀に満ちているようだが幸せな人生だったと思う。乙松は皆に慕われていたうえに、最後に乙松自身の想いも伝えることができたのだから。今の私たちが忘れてしまったものが、この映画には溢れている。だからこそこの映画は胸を打つのかもしれない。
 この映画で乙松を演じた健さんは、本年モントリオール国際映画祭で主演男優賞を受賞した。心よりお祝い申し上げます! (守)