日本映画をどうするのか '99

11月23日 「日本映画をどうするのか '99」 (やまばとホール)

●Time Table●
10:20−10:30
10:30−12:31
13:00−14:54
15:15−16:00

16:20−18:06
18:25−20:16
オープニング
菊次郎の夏
金融腐蝕列島 呪縛
トーク ゲスト:原田眞人監督、矢島健一氏、椎名詰平氏(予定)、
    司会:まつかわゆま氏(シネマアナリスト)
39 <刑法第三十九条>
のど自慢

菊次郎の夏
1999年/バンダイビジュアル、TOKYO FM、日本ヘラルド、オフィス北野製作/日本ヘラルド、オフィス北野配給/2時間1分
 
監督・脚本・編集=北野武
撮影=柳島克巳
音楽=久石譲
美術=磯田典宏
編集=太田義則
出演=ビートたけし、関口雄介、岸本加世子、吉行和子
 
[ストーリー]
 「あんた一緒に行ってやんな」。言われた菊次郎(たけし)はなにをやっている訳でない、ただ女房(岸本)に食べさせてもらっているどこかやくざっぽい自由人。
 近所の小学校3年生の正男(関口)と一緒に浜松にいる母親を訪ねる旅に出るはめになってしまった。正男の父親は生まれたとき事故でなくなり、母親はまだ写真でしか見たことがない。「いんきなガキだなぁ」と言いながらも5万円の旅費目当ての菊次郎と不安ながらも後をついてゆく正男の夏休み冒険旅行がはじまった……。
 
[コメント]
 よくもまぁここまでいろいろとあるわと思わせるたけしギャグが満載。本当は日本で一番実力あるコメディアンなんだぞといわんばかりだ。オチは一瞬の静止画カット。これがけっこうおもしろい。言葉の笑いを映像に置き換えて映画作家らしい才能がほとばしる。
 この辺りは彼にとってお遊びに過ぎないのかもしれない。本当に語りたかったのは題名通りの菊次郎か。小心者で大人になりきれないわがままで周りを困らせてばかりいるどうしょうもない菊次郎だったが、旅で出会った人たちとのふれあいや正男から慕われるようになってから徐々に変わってゆく。正男の母親がもうすでに正男の母親でなかった時の思いやり。自分の母親とだぶらせたのか、旅の途中に施設にいる母親を訪ねる。面会しないで遠くから見つめるだけ。ここに彼のやるせない心情が伝わってくる。心配ばかりかけどうしの母親に対して精一杯の別れなのか。映像だけで表現するたけし映画の最も好きな場面だ。旅行を終えた別れ際に正男が「おじちゃん、名前は?」「バカヤロウ、菊次郎だよ」。
 うれしそうな菊次郎、しっかり生きて行けよ。嫁さんを大事にな! (ま)

金融腐蝕列島 呪縛
1999年/東映、角川書店、産経新聞社製作/東映配給/1時間54分
 
監督=原田眞人
原作・脚本=高杉良
脚本=鈴木智、木下麦太
撮影=阪本善尚
美術=部谷京子
編集=川島章正
出演=役所広司、椎名桔平、仲代達矢、矢島健一、風吹ジュン、若村麻由美
 
[ストーリー]
 97年、朝日中央銀行(ABC)の300億円不正融資疑惑をめぐって東京地検特捜部による強制捜査が行なわれたが、実権を握る佐々木相談役(仲代)始め経営陣には危機感がなく責任を回避しようとするばかり。そんな上層部に立ち向かったのが、企画本部副部長の北野(役所)と石井(矢島)、同部渉外グループ長(MOF〈大蔵省〉担当)の片山(椎名)、広報部副部長の松原(中村)の「ミドル4人組」だった。彼らの改革案に難色を示していた役員たちも次々に逮捕者が出るに至り、「4人組」を中心とする真相調査委員会を結成するのだが、事態は予想を超えて急展開していく。
 
[コメント]
 スピーディに畳み込むように展開する導入部で一気に引き込まれると、2時間があっという間に過ぎた。経済事件は解りにくいものだが、その難解さをまったく感じさせない。不正融資や不良債権など現代日本の抱える構造的な問題を、リアリティに富んだ等身大の人間ドラマとして展開することで、切れ味のいいエンタテインメントに消化させている。見事な原田眞人監督の辣腕には心から脱帽!!
 『呪縛』が描くとおり、銀行や証券会社を始めとする企業には、悪と知りながら手を染めざるをえなかった部下や歯ぎしりする思いを噛み殺していたサラリーマン、また恐喝や暴力によって欲に群がった裏世界の住人がいたのは間違いない。官僚接待や東京地検の仕事ぶりなども含め、現実の一場面をスクリーンで目のあたりにすることの驚き。同時に、腐敗に加担せず真のインディビジュアリズム(個人主義)に立って、自らを捨て石としても変革し再生させようとするごく普通の男たち、女たちがいる——というこの映画のメッセージが、どれだけ私たちを勇気づけてくれることか。役所らが演じる「4人組」に等身大のヒロイズムと切ない共感を覚える人々は少なくないだろう。
 綺羅星のごとき出演者はそれぞれのキャラクターに命を吹き込んでいて見応え十分だが、とりわけ椎名桔平のスルドイ演技が醸す若々しい悲哀に魅惑される。また、周到に整えられた美術と躍動感あふれる撮影の素晴らしさも堪能もの。 (輝)

39 <刑法第三十九条>
1999年/光和インターナショナル製作/松竹配給/2時間13分
 
監督=森田芳光
原作=永井泰宇
脚本=大森寿美男
撮影=高瀬比呂志
音楽=佐橋俊彦
美術=小澤秀高
編集=田中慎二
出演=鈴木京香、堤真一、岸辺一徳、杉浦直樹、山本未来、吉田日出子
 
[ストーリー]
 雑司ヶ谷に住む若い夫婦が殺害された。逮捕された劇団員(堤)は、犯行当時の記憶がなく、殺意を否定。そのため、精神医学者と助手(鈴木)が司法精神鑑定を実施する。精神鑑定の最中に、劇団員にもう一つの凶暴な人格が現れたため、二人は犯行時の劇団員が心神喪失状態だったと鑑定する。それを受け、刑法第39条にもとづき無罪判決が下されようとする。だが、助手は鑑定結果に疑問を持ち、劇団員の精神喪失が詐病だと裁判長に訴える。再鑑定を任せられた彼女は法廷で精神医学者と対峙し、刑事とともに劇団員の過去を探るうちに事件の真相を突きとめる。
 
[コメント]
 映画『39』を観た時に、神戸の児童殺害事件を思いだした。あの時は、凶悪な犯罪を起こした未成年者の刑が少年法で軽減されることについて、一部のマスコミを中心に議論が噴出していた。今回の映画『39』では、「心身喪失者の行為は、罰しない」という条文が焦点になっている。少年法では未成年者の犯罪、刑法第39条では心身喪失者の犯罪という違いはあるが、映画『39』の背景には、神戸の事件の影響があるように感じた。しかし、この映画を見て、刑法第39条のどこに問題があるのか明確に理解するのは難しい。刑法第39条の問題点は、犯人が精神喪失者か否かの境界線上にある場合に、鑑定結果によって刑罰に大きな差が出ることの不条理さだと思う。だが、映画館を出た多くの観客は、この法律の問題点を分析することなく、「刑法第39条=悪」という図式を漠然と感じるだけだろう。確かに映画『39』は、刑法第39条への疑問を呼び起こすきっかけになった。しかし、本などのメディアに比べて、映画は問題点を論理的に分析する力が弱い。刑法第39条の是非について論議を深めるためには、また別の場を設ける必要があると感じた。 (濱)

のど自慢
1999年/シネカノン、東宝、日活、ポニーキャニオン製作/東宝、シネカノン配給/1時間52分
 
監督・脚本=井筒和幸
脚本=安倍照男
撮影=浜田毅
音楽=藤野浩一
美術=中澤克巳
編集=冨田功
出演=室井滋、大友康平、尾藤イサオ、伊藤歩、竹中直人
 
[ストーリー]
 売れない演歌歌手、赤城麗子(室井)はドサ回り営業の日々。ろくに聞いてくれない客を相手に歌手としての自信を失いかけていく。そんな時、地元で行われる「のど自慢」に出場することになった。歌手生命をかけて、大勢の聴衆の前で歌う赤城麗子。さて、鐘の数はいかに?
 他に何をやってもうまくいかない中年おやじ(大友)、多感な季節を過ごす高校生(伊藤)、登校拒否の孫を預かる老人たちのそれぞれの想いをこめての「のど自慢」。胸に響きます。
 
[コメント]
 NHKと民放1局しか映らなかった田舎で育った私にとって、「のど自慢」は貴重な娯楽だった。そこにはへたでもスポットライトを浴びれる一瞬の場が、そこはかとなくあった。「よし、高校生になったら彼女をつくって、おそろいのオーバーオールを着て一緒にのど自慢に出よう!」 そんな誓いを胸に秘めた中学生も、そんなことはすっかり忘れ、20年たって久しぶりに番組を見て、びっくり!! な、なんやこれはー!? 出場者全員舞台奥に座って、歌っている人の歌に合わせて踊ったり、手拍子したり、異様なまでの明るさと一体感! こんな番組に出たかった自分が恥ずかしくなってしまった……。
 さて、映画は室井滋もいいけど、情けないけど、家庭思いの父親役の大友康平がいい味を出して、本当にこの人は役者が向いている(ちなみに映画初出演!)と思ってしまう。
 またラストで引っ込み思案の孫を励まして歌う老人(北村和夫)の「上を向いて歩こう」は名曲であり、名シーンで思わず涙腺が弛んでしまう。
 そんな拙い歌にも感慨を抱かせる「のど自慢」はやはり国民的番組であり、この映画も国民的映画なのだ。 (セ)