ファインダー越しに映る家族とは

11月20日 「ファインダー越しに映る家族とは」 (ベルブホール)

●Time Table●
14:00−14:30
14:30−15:20
15:40−17:17
17:40−18:20
ホームビデオ
こころのうた
ファザーレス -父なき時代-
トーク ゲスト:坪田義史監督、村石雅也氏、
    聞き手:今一生氏(『完全家出マニュアル』著者)

ホームビデオ
1998年/VTR/カラー/30分
 
監督=坪田義史
 
[ストーリー]
 多摩美の学生である監督が、家族を被写体として描くドキュメンタリー。そこにはアル中の父親の暴力で、崩壊寸前の家庭があった。殴られてでも撮影をやめない監督。監督の真意は……?
 
[コメント]
 昨年と今年、ちょっとした事故とケガでそれぞれ1ケ月近く入院した。そこで見た風景は自分の父親や子供をかいがしく世話する家族だった。当然、自分の入院に対して心配する家族もまのあたりにするわけで、そこには濃密に家族との個人的な関係が浮きぼりにされてくる。普段、交わされることのない会話や所作が「入院」という動機づけによって無意識裡に閉じ込められたものが現れてきた。そんなことをふと感じさせられた。
 それは、この「ファインダー越しに映る家族とは」という企画の3作品についても同様なわけで、「現代の若者が描く家族像」というようなくくりではなく、なぜ、彼(彼女)らは家族にカメラを向けなければならなかったのか? その真意を探り、少しでも汲み取っていただきたい。父親がアル中だったり、自分がゲイだったりすることはもはや特別なことでは無く、そうした自分の存在を含めて家族をドキュメンタリーとして撮る行為が、ある種の“癒し”として機能しているこの現実。それは意識的なものではないにせよ、悩めるニッポン人の“癒し”を求める事象の姿として脳裏に焼き付いてくる。さあ、あなたは家族を映画にできますか。

こころのうた
1998年/VTR/カラー/50分
 
監督=歌川恵子
 
[コメント]
 大げさなことは何もない。歌川恵子の『こころのうた』はよく出来た映画とはほど遠いかもしれない。ホームビデオのようでもあり、誰でもない人の日記をインターネットのホームページで見つけてしまったようなむずがゆさがある。彼女が学生時代に撮った『超愛人』にあった、コンプレックスを過剰に笑い飛ばしてしまう、下品さと繊細さを混ぜ合わせたような力強さはここでは影をひそめている。ここにあるのは、不安気な顔をした一人の少女が照れくさそうにはにかんでいる、ひとりぼっちですすり泣いている。そんな風景だ。かつてはそこにあったものがいつかは無くなってしまうという大きな事実を知っている小さな女の子の日々、生活。目を凝らさなければその子が泣いているのかすら分からない。『こころのうた』はとてもささいな映画だ。人がそれをどんな風に観るのかは分からない。
 ただ、この映画の中には、冗談みたいな世界の中で自分を取り巻くものごとをきちんと見つめて、それに触れていようとする歌川恵子が確かに存在している。出来ることならそれらを愛したいと願う歌川恵子が、たどたどしいウクレレを弾きながら、歌を歌おうとしている。それが素晴らしい。
 この小さな感情が消えて無くならなければいい。大切な人がただ笑っていてくれればいい。ずっと。そんな歌。

ファザーレス -父なき時代-
1998年/VTR/カラー/78分
 
企画・主演=村石雅也
監督=茂野良弥
 
[ストーリー]
 自分の存在を否定的にしか認めることのできなかった青年、村石。彼及び彼の家族を撮影することで自己を再確認することになる。そこには彼も初めて知る事実が……。
 話題騒然のドキュメンタリー。マンハイム国際映画祭ドキュメンタリー部門グランプリ受賞。国際批評家連盟賞受賞。