ボスニア紛争

11月27日 「ボスニア紛争」 (ベルブホール)

●Time Table●
11:30−12:33
13:10−14:41
15:00−16:00
16:20−18:29
コーリング・ザ・コースト 沈黙を破ったボスニア女性たち
エグザイル・イン・サラエヴォ
講演 千田善氏(ジャーナリスト)
ボスニア

コーリング・ザ・ゴースト 沈黙を破ったボスニア女性たち
1996年/アメリカ、クロアチア/スタンス・カンパニー配給/1時間3分
 
監督=マンディ・ジャコブソン
撮影=マリオ・デリック
音楽=トニー・アジニコフ
 
[ストーリー]
 ボスニア・ヘルツェゴビナの北部に位置するオマルスカ鉱山。ボスニア紛争が始まり、この鉱山は「死のキャンプ」と形容される捕虜収容所として転用されるようになり、そこでの捕虜に対する残虐行為の実態が世界中の注目を集めることになった。ナチスの「強制収容所」を彷彿させる拷問や虐待の数々に、国際世論の非難を浴びて捕虜は釈放されたが、そこでおこなわれた屈辱的な体験はそれぞれの心に深い影を落とすことになる。その被害者である2人のムスリム人女性の証言に基づき、収容所内での出来事を暴露していく衝撃のドキュメンタリー。
 
[コメント]
 「戦争とは?」という命題をある席で投げかけられたことがあり、簡単そうで難解なこの問いに対し答えを窮していたら、ある人が次のように答えていた。「非現実的なものが現実になるという日常性からの乖離。それまでの価値観、常識が覆され、今まで表出することのなかったあらゆる負の面が顕在化する現象」と。
 互いに共存し合えていた民族同士が東西冷戦構造の崩壊を契機にするかのように、再び対立していくその過程のなかで生じた民族浄化(エスニック・クレンジング)という(恐らく20世紀末におきた愚行の一つとして後々まで語り継がれるだろう)ボスニア紛争でおきた悲劇の産物は、そのことを最も端的にあらわしているよううに思われた。なかでも強姦後に殺さず、妊娠させ中絶不可能な状態になるまで解放しないという自民族の血を優先化させるため、他民族(主にセルビア人からムスリム人)に対しておこなわれたレイプによる性暴行の凄惨さは国際社会にさまざまな波紋を投げかけた。戦争という日常性から異化された状況下で、もし自分がそのような立場にたたされた場合、一体どこまで正常な理性を保ち、節度ある行動をとっていられるのだろうか、正直自信はない。イスラム教では原則として妊娠中絶を認めていないためこうした悲劇が生まれるのだ。生まれてくる子供に罪はないとはいえ、母親(望めるべくしてなった訳ではない)がその子供に愛情を注げというのは正直酷なことである。 (齋)

エグザイル・イン・サラエヴォ
1997年/オーストラリア/アップリンク配給/1時間31分
 
監督=タヒア・カンビス+アルマ・シャバーズ
撮影=ロマン・バスカ+タヒア・カンビス+アルマ・シャバーズ
音楽=アルマ・シャバーズ
 
[ストーリー]
 オーストラリアに住む俳優のタヒア・カンビスは、亡命者として亡き母の故郷サラエヴォを訪れる。そしてサラエヴォ在住のアルマ・シャパーズと共に撮影を始める。セルビアの検問所をごまかして忍び込ませた彼らのビデオカメラは、撮影翌日に破裂弾によって殺された少女ニルバナの最後の姿や、集団レイプを目撃した7歳の賢い少女アミラと彼女の絵日記を映し出す。セルビア人によるサラエヴォ包囲攻撃、生と死が隣り合わせの日常、国連保護軍の駐留する戦争終結間際のサラエヴォを私的な視点で描くドキュメンタリー。
 
[コメント]
 この映画は1999年2月から、渋谷UPLINK FACTORYにて公開された。
 同じ頃、世界の目はヨーロッパの火薬庫バルカン半島に集まっていた。セルビア人とアルバニア人の共存するユーゴスラヴィア・コソボ自治州で民族対立が激化し、ついにNATOによる空爆を被ったのだ。 その様子を私たちはテレビを通じて目にし、民族浄化や大量殺人といった言葉を耳にした。被害者は私たちと同じ一般の生活者。もはや遠い国の出来事ではない。
 この映画の背景となったボスニア・ヘルツエゴビナは、ムスリム人、クロアチア人、セルビア人等の民族混合地域である。ユーゴスラヴィア連邦(セルビア)共和国からの分離独立を主張するムスリム人とクロアチア人に対し、セルビア人が反対。ボスニア戦争が勃発した。
 本作は95年、NATOと国連軍(米軍)が本格的に介入を始め、12月ボスニア和平合意(ディトン合意)が正式に調印され、激戦中のサラエヴォから外国の武装勢力が撤退するまでを描いている。
 「エグザイル」とは亡命者の意。オーストラリアに移民として亡命した主人公タヒアが自分のルーツであるサラエヴォを訪れたとき、彼はエグザイルとしてサラエヴォに帰り立つ。 (阪)

ボスニア
1996年/セルビア人共和国[ユーゴスラビア連邦共和国]/パイオニアLDC配給/2時間9分
 
監督=スルジャン・ドラゴエヴィッチ
脚本=ワーニャ・ブリッチ
撮影=ドゥシャン・ヨクシモヴィッチ
音楽=アレクサンドル・サーシャ・ハビッチ
出演=ドラガン・ビエログルリッチ、ニコラ・ペヤコヴィッチ
 
[ストーリー]
 1971年6月27日。“友愛と団結”トンネルの開通式からこの映画は幕をあける。その10年後、このトンネルを探検しに、セルビア人ミラン(D・ビエログルリッチ)とムスリム人ハリル(N・ペヤコヴィッチ)の少年二人はやって来る。将来2人がこの地で殺し合うことになるとは知る由もなく……。さらに13年後のボスニア紛争。セルビア人兵士になったミランは、瀕死の重傷を負い、ベオグラードの病院ベッドの中で一人静かに回想していた。親友ハリルと過ごした日々のこと。そしてあのトンネル内でおきた悪夢の10日間のことを……。
 ムスリム人勢力の奇襲攻撃で壊滅状態にあったセルビア人部隊の実話が基になっている。
 
[コメント]
 戦火にさらされた街並みの、とある壁に書きなぐられていた「ボスニアを東京まで拡大せよ」という文字が表示されるシーンを観て、思わずドキリとしてしまった。それまではユーゴ紛争を、どこか遠い国の遠い場所でおきたこととして、所詮他人事のように捉えていたことに気付かされたからだ。それが“東京”という言葉が出たことによって、彼の地が一気に近く、恐怖を伴ってリアルに痛感させられたのだ。もし東京に空爆されたらと。コソボ難民の行列をTVニュースで見て、何かしてあげられることはないだろうかと思いあがっていた自分の偽善さにほとほと気付かされた。監督によるメッセージが胸にズシリと鈍く重く響く。「甘っちょろいセンチメンタリズムや人間の「善性」が世界を覆っているとは断じて認めない。私がこの映画で目指すのは、ボスニアの戦火から遠く離れて、ぬくぬくと映画を楽しんでいる君たちに惨めな思いを抱かせること。ただ、それだけだ」。
 親友同士までもが争わなくてはならない“民族主義”という言葉に踊らされる人間の何と愚かなことか。この映画で語られる現実から決して目を背けてはならない。 (齋)