映画ファンの立場から観客に活力を与えてくれるいきのいい作品・監督・俳優をいち早く紹介したいとの想いで立ち上げたTAMA映画賞も7回目を迎えました。本年も日本映画を代表する、そしてこれから背負って立つ素晴らしい方々にお越しいただけることになりました。ごゆるりとお楽しみください。
とある港町で生きることに行き詰まりを感じて暮らす人々が織りなす群像劇。まじめだが優柔不断で、生徒との関係性がうまく持てない小学校教師(高良)。ママ友らに見せる笑顔の陰で、自宅で娘に手を上げる専業主婦(尾野)。スーパーで無意識に万引きをして認知症が始まったのかと不安な日々をすごす独居老人(喜多)。
思いがけないきっかけによって、それぞれの物語は動き出す。
学級崩壊、虐待、認知症、自閉症、ネグレクト、モンスターペアレント。スクリーンに映る現代の生きる痛みの数々。「普通」に暮らそうとして行き詰まりを感じる人々。声にならない悲鳴をあげる感情たち。監督の呉美保は複数の登場人物に寄り添い、糸と糸とを編み上げるように丁寧に関係性を描く。それは、一瞬言葉を選ぶ時の間(ま)であったり、手を上げようとして止める躊躇であったり、他人には言えない言葉を抱えての沈黙である。田中拓人の音楽は、静謐にその心境を浮かび上がらせる。
それらの人によって作られた断絶は、すぐに解決するものではなく、時にはどんなに埋めても埋まりきらない穴のように深く、先が見えない。しかしどんなに暗く苦境に陥っても、それに光を灯し、救うのはやはり人であり、関わりである。他者への想いの気づきによって、その断絶の扉を開けようとする行為は、同じ人の行為だとは思えないくらい温かく、慈悲に溢れている。(半)
まぶしい光に包まれた夏の朝、三姉妹に届いた父の訃報。15年前に父は家族を捨て、母も再婚して家を去った。父の葬儀で三姉妹は腹違いの妹すず(広瀬)と出会う。頼りない義母を支え、気丈に振舞う中学生のすずに長女の幸(綾瀬)は思わず声をかける。「鎌倉で一緒に暮らさない?」
4人で始める新しい生活。それぞれの複雑な想いが浮かび上がる……。
吉田秋生の描いた世界を是枝裕和がどんな映像で魅せてくれるか。楽しみな映画でした。長澤まさみのハッとするほど、しなやかな肢体から始まる夏の鎌倉。四姉妹の生き方がそれぞれの立ち居振る舞いを通して鮮やかに描かれていく。長女・幸を演じる綾瀬はるかの、すっと立ち静かにあたたかく座る姿に長女として、妹たちの両親としての役割を引き受けた覚悟を感じ、三女・千佳の父の葬儀の際に百日紅の花を弄ぶ姿に生きる躍動を窺う。鎌倉で新しい生活を始めるすず。サッカーの試合で次々とディフェンスを破っていく姿とうらはらに、一歩下がった日常での位置取りに、引き受けた命の重さに戸惑う姿を描いてみせる。
そして鎌倉の家。祖母の暮らしていた痕跡をさりげなく散らばらせ、光と影で四姉妹を柔らく、そして時に冷たく包む。悲しみのなかを上げて生きていく四姉妹の姿を、鎌倉の街が、そして人々が愛おしく包んでいる。是枝監督の『海街diary』。(竹)
どら焼屋で働く、雇われ店長の千太郎(永瀬)の前に1人の老女・徳江(樹木)が現れる。店で働きたがる徳江にどらやきの粒あん作りを任せると、その美味しさに店は大繁盛。しかし、心ない噂により店を去ることになる徳江。千太郎は、徳江と心を通わせていた中学生のワカナ(内田)と徳江の足跡をたどるが……
借金返済のためにどら焼屋で無気力に働く千太郎。ハンセン病を理由に隔離され生きてきた徳江。母親や友達に馴染めず、窮屈な毎日を過ごすワカナ。籠の中の鳥のような3人がそれぞれの籠を出て行く様子を描いている。
満開の桜、暖かい日差し、風でざわめく木々の音……その瞬間を噛み締め、感謝する徳江が本当に愛おしい。それと同時に人が感謝をする姿の美しさや私たちにとっての当たり前が当たり前ではない人がいることに気付かされる。
「がんばりなさいよ」「美味しいあんになろうね」小豆に語りかける徳江の言葉は自身に向けた言葉でもある。「あんたは生まれてきてよかったんだよ」
その徳江を演じる樹木希林。誰もが知っている女優で、スクリーンで見かけることもそれこそ当たり前だが、彼女の偉大さに改めて圧倒させられる。
日本語の最初の文字「あ」と最後の文字「ん」を繋げた『あん』と言うタイトルにはもっと多くの意味があるのかもしれない。(内暢)