『さよならも出来ない』松野泉監督インタビュー

date : 2017/09/10

第17回TAMA NEW WAVEグランプリ作品(ベスト女優賞も同時受賞)『さよならも出来ない』(監督:松野泉)が2017年9月9日(土)よりK’sシネマにて1週間限定で公開となりました。松野泉監督に同作品の製作経緯や演出についてお聞きしました。

聞き手:矢野、宮崎、尾川、佐藤 文責:佐藤

役者さんの声を聞く

——— 現代における人間関係をうまく捉えた映画だなと感じました。こうした作品をつくるきっかけや構想が見えてくるまでのお話を聞かせてください。

松野:この映画は元々シネマカレッジ京都というワークショップから始まった映画で、役者さんと長い期間のワークショップをやっていくなかで、この人たちに合った物語をやりたいなと思いました。いろんなきっかけがあるのですが、神戸のワークショップで撮った『ハッピーアワー』(2015)という濱口竜介監督の作品に録音で参加したときに勉強したなかで一番大事だなと思ったことが、役者さんの声を聞くということでした。話を聞くというのはそうなんですけど、濱口さんの態度として、声を聞くことを大切にされていて、それがすごく面白いなと思いました。今まで撮った映画のなかで、あまり役者さんとコミュニケーションをとって作品を作ってこなかったので、今回役者さんと長い期間一緒に出来るということで、ガッツリそれに取り組んでみたいなと思いました。ワークショップには演技経験のある人から、全く経験のない人たちまでが集まっていましたが、お芝居をすること、カメラの前に立つことの怖さやそこで表現しないといけない熱意というかすごい自意識を持ったそういう俳優たちと作品を作っていくなかで、『ハッピーアワー』が一つのヒントになっています。お互いの声を聞くとか、普通の人間関係として、他の人に興味を持つみたいなことが、俳優をやりたいという人の演技レッスンの中では意外に忘れられてるんじゃないかというのがありました。今回ワークショップでは一人で芝居をするということは絶対やらずに、とにかくお互いに何かコミュニケーションをとることを手を変え品を変えやっていました。そのなかで出演者の方にお互いを知ってもらうことも大事だと思っていて、延々と自己紹介をしたり、お互いのことをいかにうまく聞くかということをやったり、ある意味コミュニケーションスキルのセミナーみたいなことをやりました(笑)。出演者の話のなかにも今回の映画のヒントがたくさんありました。そのままシナリオに反映してはいないですが、その人たちの人に対する視点や人間関係や過去にあった出来事とかいろんなそういう要素を自分なりに消化して、それぞれの人たちの持っている魅力で自分よりもう一歩進んだ何かを表現できるのがシナリオ的には理想だなと思って、今回の話が出来上がってきました。

——— 映画を観ていて、登場人物が一人でいるときよりも、様々な人たちとの関係性のなかで登場人物の個々のキャラクターが見えてくるという印象を受けました。ワークショップをしながら脚本を作っていったのでしょうか。

松野:今の『さよならも出来ない』というタイトルは映画ができた後につけたものなのですが、その前は『グッド/バイ』というタイトルでした。そのシナリオを書いたのはワークショップが終わった後なのですが、ワークショップ中に書いたシナリオもあって、それは今の3倍くらいありました。それが長かったのは出演者全員を主役にして群像劇をやろうとしていたからです。そうすることが僕なりに皆が魅力的に見える一つの方法だと思ってやってましたが、結局それぞれの表現にしかなってないなと自分のなかで感じ始めました。そこで、メインの二人を用意して、その周りにいろんな人間関係ができるようにすることで、何か一つの物語に向かって皆さんが一つの目的意識を持って、一つの価値観に対して否定する人や共感する人もいてというような方向性になって脚本が今の形になってきました。

——— わかりやすい感情の発露などがあまり出てこないような脚本だったと感じました。

松野:こちらがエモーショナルなものを出演者に求めることをせずに、シナリオのなかでもなにか心が動くんじゃないかと思いました。リハーサルをやっていると、エモーショナルには見えないかもしれませんが、役者の心が動いているなと思う瞬間があるので、それが大声で叫ぶとか涙を流すとかじゃなくても映っていれば緊張感あるものとして見られるのでないかなと思いました。実際はシナリオで淡々としたイメージで考えていたものがエモーショナルになっているなと思っています。

映画でしかありえないようなリアルな空間が現れてくる感覚

——— 役者さんのセリフの声の出し方はどのような指導をされていたのでしょうか。

松野:方法論として『ハッピーアワー』と同じような方法を採用しています。実は濱口監督と出会う前に録音として参加した、桝井孝則さんというストローブ=ユイレを敬愛している監督の作品の影響もありました。『ハッピーアワー』の本読みの場合は電話帳を読むようにニュアンスを殺して文字を口に出すことを延々とやっていて、桝井監督もそれに近いことをやっているのですが、濱口監督と比べると音楽的というか、発声や息継ぎをシビアにやっていました。二人の監督の様子を見ていて、自分としても刺激になりました。『ハッピーアワー』は電話帳を読むようなやり方をしても、実際のお芝居がエモーショナルなシーンになったりする。それは僕の解釈としては、本番で役者さんと役者さんがお互いに向き合ってお芝居をするときの一回性というか、ここでしか起こらないことを起こすために、延々その準備をしているという印象でした。桝井監督についてはもう少し体育会的な感じで、延々とリハーサルをやった上で本番のすごく長いシーンを20回位やっています。僕的にはその二人の監督のやり方につながりを感じていて、どちらもその場でしか起きない一回性を目指しているように思います。濱口監督の演出のように、映画でしかありえないようなリアルな空間が現れてくる感覚に刺激を受けて、自分もそのように本読みをやりました。電話帳のように読むこともやりましたし、音楽的にセリフを楽譜的に割ってリズムを付けてみたり、ささやき声や大きい声でやってみたり、背中合わせでやってお互いの背中の振動を聞くとか、それ自体がコミュニケーションになるし、そのように抑揚を殺したやりとりをしていくなかでテクストに影響されて感情が出てくることがあって、それは自分ではあまり分からないことかもしれないんですけど、相手がそれを感じるんですよね。「あ、この人いまちょっと違ったな」とか。相手の言い方でなんか泣けてきたとか、それがすごく面白くてやっていました。僕が考えたというか濱口監督が考えたことなのですが(笑)。濱口監督はそこからもう一歩抜け出していて、『ハッピーアワー』で録音していたのでわかるのですが、すごい強い声なんですよね。僕の場合は、もうちょっと秘密を分け合うような、ささやかな世界のなかで、エモーションの見え隠れのする世界になりました。もしかしたら参加した人たちのパーソナリティーがそういうものに向いていたとも思っています。でも、本番は逆にそういう本読みから自由になって欲しいというのがあって「今までやったことは全部忘れてください。」みたいな感じでした(笑)。ただ大事なのは、相手の言うことをしっかり聞いて、それに対して声を出すということでした。延々本読みをやっているので皆、セリフは頭に入っていて、口をついてセリフは出てくるので、相手の横で聞いて声を出すことに集中できるのが一つの利点だと思ってます。

リアクションは嘘をつけない

——— メインの二人がいて、彼らを取り巻くたくさんの人がいる。その他愛のない人たちともいえるような登場人物たちが本作を構築しているような、映画にとって大切な存在だと感じました。

松野:今回は時間も長いこと一緒にいられるので、メインの二人に対してずっと演出をしているということは全然なくて、満遍なくそれぞれのシーンのリハーサルをしていて、本当に短いシーンにしても主役の二人と同じだけ時間を費やしていました。自分としても今回はそういう態度で臨みたいという気持ちもありましたし、実際にワークショップをやっていて、自分がそれぞれの人たちのことを知っていくなかで、出る時間は一瞬かもしれませんが、その人の魅力を僕はいっぱい知っているわけで、それを短いなかでどれだけ表現できるかということは自分の責任としてあるなと思いました。そういうところが魅力的に見えたら、たとえそれが物語に絡んでくるシーンでなくても、必然的なシーンとして観られるのではないかなという気持ちがありました。

——— キャラクター造形については、出演者のパーソナリティーを活かしたものだったのでしょうか。

松野:言い方が難しいのですが、究極的に人と人とは分かり合えないという気持ちがどこかにありまして、たとえ長い期間ワークショップで一緒にやっていたとしても、僕に見えているのも彼らの一側面でしかないので、それを脚本に落とし込むことはあまり意図していませんでした。考えていたことは、人と関係したときに、その人の気持ちが動いたり、楽しいでも悲しいでもなんでもいいんですけど、そのリアクションは嘘をつけないなということでした。嘘をつかなくてもいいんだよという関係性を作ると、その人でしかありえないような何かが出てくるというか、そういうことの出来る環境を作ろうと思っていました。映画のキャラクターがその人自身ということは全然ないのですが、その人の核にあるものがふっと現れる瞬間が物語の中にあれば、それはキャラクターと相反するものであっても、全然いいと思っているし、正しいと思って今回はやりました。

ルールを知るってことが一番大事

——— 本作は境界線が面白くて大胆なルールとして導入されていると思いましたが、ルールは人にとってどのようなもので、どのような影響があるとお考えですか。

松野:セリフの中でも「ルールは態度じゃなくて前提だから、それを意識する必要はないと思います」と環(土手理恵子)が言うんですが、それをふと疑う瞬間があります。みんな節度を守って生きていくわけじゃないですか。社会のルールや家庭のルールなどがあると思うんですが、決してルールが全部悪いと思っていなくて、それを楽しめるかどうかも大事だと思うし、共有できて、誰かにとってそれが暴力として作用しなければ必要なものであるとも思います。だいたい誰かにとって快適な取り決めって、誰かにとっては不快なものだったりもするので、もっと言えば個人でそれぞれルールを持っていて、それを傷つけられるのは誰しもが嫌なものだと思います。結局はそれを知るってことが一番大事だと思っていて、それぞれのルールをわからないままに否定したり、暴力的に取り除こうとするのは良くないと思っていて、とにかく一回知って、それを自分はどう思うのかということを分かった上でそれと接するのが大事だと思っています。

——— ワークショップでも様々なルールを設定されていましたね。

松野:仕組みを考えるのはおもしろいし、一種のゲームのようでもあり、参加者にとってもおもしろいものだと思います。毎回ワークショップの後に全員からアンケートをとって、共有しても良いと思うものはメールに書いて、自分の思ったことも添えて全員に返していました。1週間ごとのワークショップでしたが、毎週それをやっていて、それはとてもおもしろかったです。何か仕組みの中でゲームをしたりすると、最初は楽しいんですが、色んな疑問が出てきます。それはルール自体に対する疑問もあれば、ルールが生まれることで、自分の深いところに返っていって、「私って何なんでしょう」というような禅問答みたいな時間になってきたりとか、そういうのはすごく面白かったです。そういうルールが何もない世界で、自由にやってくださいというほうがすごく難しいことだと思います。

——— 部屋の境界は、カーテンで仕切ったりとかという物理的なものではなく、概念的な境界というのがおもしろいと思いました。部屋の二人のスペースを仕切る棚など、境界のアイデアはどんなきっかけで浮かんだのでしょうか。

松野:別れて3年同棲している設定は最初に浮かんで、それはワークショップのなかで、ある人が元彼と、今彼と3人で住んでいたことがあるという話を聞いて、関係性が終わったのに同棲しているというのがおもしろいと思って、やろうと思いました。そこから色んなパターンを考えているなかで、部屋を分けて暮らすという目で見て分かるようにするのもよいと思いました。でも、そうすると二人が同じ画面にいることは難しいので、技術的なことになりますが、地面に線があるっていう世界だと、同じ空間にいるんだけどお互い違う空間にいる表現が出来ると考え、面白いんじゃないかなと思いました。

登場人物が過ごして来た時間を受け止める

——— 本を入れ替えるアイデアは監督のアイデアでしょうか。

松野:そうです。物語自体を豊かにすること以前に、登場人物が過ごしてきた時間を出演者が感覚としてちゃんと受け止められる設定が絶対必要だと思いました。交換日記も本のやりとりもそうですが、具体的で分かりやすくて、なんでこの2人は別れたのに3年も一緒にいるんだろうということは、出演者の人たち自身のモチベーションとしても空っぽだと辛いと思いました。だけど、そこを全部意味で埋めてしまって書いた裏設定を全部教えてその時間を表現するのは嫌だなと思ったので、体験として共有できるものはないかなと思って取り入れました。体験的なことをやってもらうために交換日記は実際に1~2か月間ぐらいやってもらいました。

——— 本を交換したり、部屋にたくさんの本があったのが印象的でしたが、モチーフとして本を選んだきっかけは何でしょうか。

松野:最初は何がきっかけだったか記憶にないのですが、『城の崎にて』(志賀直哉)の一つの場面(「大きな桑の木が〜」)を映画の中に入れていて、その場面が頭に残っていたというのはありました。あとは、主人公があまり喋らない人で、逆によく喋る人だとあのような世界にならないとも思っていて、そういう人がどこに向かうのかというと、文字にされたものなどが頭のなかにいっぱいあるから、逆に言葉に出来ないという印象がありました。主人公が本屋で働いているというのは割と最初の方に決まった設定でした。

——— 最後に読まれている『城の崎にて』の一節は映画を作る上でもキーになるものだったのでしょうか。

松野:そうですね。実は僕、あれはあまり意味がよく分からないんです。あのシーンは結構謎めいていて、『城の崎にて』自体はある種の生と死みたいなものに対しての描写が続くんですが、そうしたテーマとも違う不思議な描写で、すごく映像的なんですよね。1枚の葉が風もない中でくるくると回っていて、急に風が吹いて周りの葉がざわめいたらそれが止まっているというのが、不思議だけどビジュアルとしては分かる感じがありました。それで最後の結びが、私はこういうのを知っているような気がした、と言っているんですが、それもすごく不思議で、どういう意味なのかなというひっかかりがありました。後付けですが、それが出来た物語と共鳴するものがすごくあるなと感じがしています。実は、タイトルバックに出てくる葉っぱの映像は、全然別の撮影で、伊豆大島で撮影をしていた時の空き時間に撮りました。風が吹いてきたときに辺りを見たら、多分葉っぱの繊維でぶら下がっているんだと思うんですが、最初見た時に葉っぱが浮いていると思ったんです。よく見たら、全然それだけ動いていなくて周りが風でざわめいていて、風が止んだのに急にそれがくるくる回りだすということがあったんです。それで慌ててiPhoneで撮ったんです。これはビジュアルで撮るのが一番分かりやすいと思って、オープニングに入れました。

——— ラストシーンは脚本が無かったとお聞きしました。

松野:脚本が無かったというよりは、元々あったものと違う形になっています。この映画の正解というと言い方が悪いですが、多分けじめをつけることが物語が導く最後で、そうあるべきなんじゃないかという気持ちがありました。でもどこかでそれに抗いたいという気持ちもありました。けじめをつければ確かに誰もが見てある種すっきりするのかもしれないですが、じゃあこの物語は何だったのかというのがあまりよく分からないと思いました。役者さんと長い期間やっていくなかで、主人公の二人が僕よりもその二人のことを理解し始めたという感覚があって、自分のことのようにその関係について考えていると思いました。ラストシーンは最後に撮ろうと思っていて、そのシーンをやるまでに話し合ったりするなかで、最後は決めずにやりましょうということになりました。ただ、僕としては、演出としてお互いのモチベーションは聞きたいので、それぞれにどう思うかだけを聞かせてもらいました。ある種恋愛相談のような感じで、お互いが僕にそういうことを話してくれて、それを励ましたりしていました。最後はとにかく思い切って思うことを話すべきなんじゃないかというのをお互いに言いました。ただ、それが言えても言えなくても正解だし、言えるんだったら言った方が良いし、失敗も成功もなく、とにかくここで起こる出来事そのものとしてやってみましょうということになりました。自分の判断基準として、ストーリー的な正解は自分のなかではもはや信用していなくて、それよりもそこで起こる出来事が大事だと思っていました。結果ああいうことになって、それを見て僕は感動したので、それがラストシーンだと思いました。

『さよならも出来ない』

INTRODUCTION

京都から新たな映画を発信する人材育成事業「シネマカレッジ京都」(主催:京都市、シマフィルム株式会社、株式会社映画24区)で行った俳優ワークショップに集った参加者が中心キャストとなり、講師の松野泉がオリジナル企画で臨み、本作を制作。映画において「演技」とは何なのか、映画のなかでいかに「存在」するかをワークショップのなかで考え、制作準備期間にも各キャストのリハーサルを重ねて撮影を行った。「二人の男女が恋人としては別れても同居を続けている」という状況と、その周囲の人々のざわめきを、キャストの存在をじっと見つめるような視線で描いた作品です。人が人と関係し続けることの困難さ。境界線は、人を分かつだけでなく、人をつなぐラインでもあること。目の前の手の届く世界のなかで、ささやかな希望を見出す意欲作です。

STORY

香里と環は別れてから3年も同棲生活を続けている。友人や周りの人間からは関係をはっきりさせた方が良いと言われるが、家の中に境界線を引き、ルールを設け、恋人、友人でもない生活は続いている。そんなある日、環は会社の同僚の浩に食事に誘われ、香里も同僚の紀美から思わせぶりな態度を示される。さらに環の叔母夫婦が二人の状況を探りに来る。二人はなぜ離れられないのか、別れるとはどういう事なのか。決断の時が訪れた。


  • 2016年/HD/76分/製作・配給=シマフィルム株式会社
  • シネマカレッジ京都 俳優コース 制作実践クラス14-2 修了作品
  • 監督・編集=松野泉
  • 撮影・編集=宮本杜朗 美術=塩川節子 録音=斎藤愛子 制作=鶴岡由貴 録音・助監督=斗内秀和 メイク=森島恵 音楽=光永惟行 WEB制作=境隆太 デザイン=中西晶子 プロデューサー=田中誠一
    • 野里佳忍、土手理恵子、上野伸弥、日永貴子、長尾寿充、龍見良葉、余部雅子、柳本展明、上西愛理、今井理惠、宮前咲子、篠原松志、田辺泰信、堀田直蔵、辻凪子

松野泉監督プロフィール

1982年生まれ。2004年大阪芸大卒。大学入学より、短編映画や音楽の製作を開始。2006年、自主制作で『GHOST OF YESTERDAY』を監督。第30回ぴあフィルムフェスティバル(2008年)にて審査員特別賞、企画賞を受賞。長編第2作として2007年にCO2企画助成作品『YESTERDAY ONCE MORE』を監督。

2013年よりシネマカレッジ京都の俳優コース講師をつとめ、本作『さよならも出来ない』は受講生が出演する終了作品として制作された。

映画録音(整音)技師としても『Dressing Up』(2012年/安川有果監督)、『SAVE THE CLUB NOON』(2013年/宮本杜朗監督)、『ハッピーアワー』(2015年/濱口竜介監督)、『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』(2015年/遠藤ミチロウ監督)、『函館珈琲』(2016年/西尾孔志監督)などに参加。

また、ミュージシャンとしても活動し、1stアルバム「星屑の国」をリリースした。