第30回映画祭TAMA CINEMA FORUM
文久2(1862)年。東海道品川宿の相模屋という遊郭で佐平次(フランキー堺)は、呑めや歌えの大尽騒ぎを始める。しかし、この男、なんと懐には一銭も持ち合わせていなかった……。相模屋に居ついてしまった佐平次は、持ち前の機転で女郎や客たちのトラブルを次々と解決していく。
川島雄三監督の代表作といえば、『しとやかな獣』と並んで『幕末太陽傳』が挙げられます。川島監督は、例えば黒澤明、溝口健二、小津安二郎のような日本映画を代表する巨匠というより、もう少し通好みのオフビートな映画監督という印象があります。なかでもほぼすべてのシーンが団地の一室の中で繰り広げられる『しとやかな獣』には、特に強烈な印象があります。今作『幕末太陽傳』は、川島監督の厭世的な世界観とフランキー堺のオプティミスティックな存在感が、作品に良いバランスで配合されているように思えます。その結果、映画としての懐の深さがあり、誰もが楽しめる作品です。フランキー堺は、この作品でブルーリボン賞を受賞し、その後、役者としての快進撃をひた走ります。(加)
遥か通天閣を見渡す大阪・天王の夕陽ヶ丘に立つ風変わりなアパートに暮らす、奇妙な住人たちの生態を、下品さと紙一重の人間臭い猥雑さのなかに描いている。それは、人間の品位を捨て去った男女の物語といえる。
川島雄三監督のお墓には「サヨナラだけが人生だ」という言葉が刻まれているという。この言葉は元々、「勧酒」という漢詩の一節を井伏鱒二が訳した言葉ということだ。そんな井伏原作、川島監督作品がこの『貸間あり』である。
主人公の五郎(フランキー堺)はインテリで人から頼まれたら断れない性格であり、アパートの住人からのさまざまな頼まれごとをこなし、更には受験の替え玉までお願いされて九州まで行くはめになってしまう。一方で自分に好意を持ってくれる陶芸家のユミ子(淡島)に対しては素直になれず、自分に会いに九州まで来てくれたユミ子から結局は逃げ出してしまう。まるで高橋留美子の「めぞん一刻」と「うる星やつら」を足したような作品だと勝手に思っている。やれやれ。(よ)