第28回映画祭TAMA CINEMA FORUM
15年前に亡くなった長男の命日に、次男である良多(阿部)は妻ゆかり(夏川)と妻の連れ子であるあつしとともに久々に帰省する。跡取りで自慢の息子だった兄の死をいまだ受け止めきれない両親(原田・樹木)と過ごす実家は良多にとって居心地のいいものではない。それぞれの思いが交差し、家族の一日が過ぎていく。
「人生は、いつもちょっとだけ間に合わない」。頭ではわかっているのに、些細な変化を見過ごし、交わした小さな約束を忘れ、取り返しがつかなくなってようやく悔やむ。特に、一番近く、うっとうしくもいとおしい家族については。
ある家族のある夏の日が描かれている。特に事件は起こらない。そのかわり、人物同士の関係性が、練り上げられたせりふと絶妙な間合い、芸達者な俳優たちの視線や仕草によって時間をかけて表現される。何ということのない日常のなか、樹木が演じる母親のトゲのある言葉や残酷さがにじむ横顔は、映画に緊張感をもたらしている。
それぞれが複雑な感情、言えない本音を抱え、「ブルー・ライト・ヨコハマ」が流れるなか囲む食卓。にぎやかな笑顔とどうしても訪れる沈黙、親と子の気持ちのすれ違い、机の下での見えない攻防、あぁ家族だなぁと思う。不変なもののなかで変わっていくものがさりげなく映し出され、それに気づいてもどうしていいのかわからず取りこぼしてしまう哀しさがしみる。(大)
幼少期に家族と離れて暮らした小説家の伊上洪作(役所)は、母・八重(樹木)に捨てられたのだと当時を振り返っている。父が他界した後の、老いていく母との時間のなかでもその思いは強く残ったままだった。しかし、三女・琴子(宮﨑)をはじめとした家族の言動などから、洪作は少しずつ母の思いに気づかされていく……。
親を思うことは、自身の源流をたどることなのだろうか。忘れられない記憶(とくに幼少期の)は、五感すべてによって形成され、その後の価値観に大きく作用するものである。
ただし、主観は物事をややこしくすることがある。家族という共同体のなかにあっては、もしかするとそれが顕著なのかもしれない。それでも、家族の関係は簡単に切れないものであり、その関係自体も時間とともに変化していく。
八重の姿は、その変化を見事に表している。会話が曖昧になっていく様は、頼りになる存在へと成長していく琴子とは対照的だ。そんななか、記憶と妄想の海を漂いながら洪作の幼少期の詩を暗唱したときの八重の表情からは、複雑に絡み合う長年のいくつもの感情を読み取ることができた。時間経過と関係の変化がもたらした美しい瞬間が、脳裏に焼きついて離れない。
第4回TAMA映画賞・最優秀女優賞や第36回日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞するなど、樹木の代表作のひとつといえよう。(渉)