第28回映画祭TAMA CINEMA FORUM
20年前のある日突然、夢問町は、謎の現象「ゾン」により町全体が覆われてしまいました。無謀にもゾンの向こうへ行った人もいましたが、帰ってくる人は誰もおらず、今ではそんなことをする人もいなくなりました。この町の人々は何を想い、20年の日々を過ごしてきたのでしょう?生まれた時から町の外を知らない若者は、ゾンに何を見るのでしょうか?町の外はまだそこに在るのでしょうか?
この映画は映画美学校アクターズ・コース第2期で学んだ俳優たちと、講師であった古澤健、鈴木卓爾両氏とで行なったワークショップが発端となり制作が始まった。それが2014年のこと。脚本作成から撮影までの流れは早かったようだが、真の完成までは長い道のりをたどることになる。
映画の世界観を大きく左右する「ゾン」の空はシネカリグラフィーというフィルムに直接絵を描いたり傷をつけたりする手法で表現されている。撮影終了後、この気の遠くなるような作業を出演者、スタッフで分担して行なったという。映画作りというのは作っている時ははっきりとした出口が見えないことが多い。作って届けるまで、それ自体が旅だと思う。
『ゾン』を観たとき、これは2014年からこちらに向かって投げられた小瓶だと思った。観る人によって瓶の色や形は違って見えることだろう。
私はこの瓶を2014年の夢問町の人たちに投げ返したい。ちゃんと届いたよ、というメッセージとして。(由)
父が疾走し、母と2人暮らしのセリ(河西)。母に新しい恋人ができ、複雑な気持ちになっていた。一方目が覚めると船上にいたさなは、自分に関する記憶を失っており、出会った透子の家に住まわせてもらう。セリとさな。まったく別々の2つの物語が1軒の家の中で進行していく。
この映画は“触れる”ことがどんなに驚きに満ちているかも描いている。この映画を観て思い出すのは『アザーズ』という映画だった。母子が暮らす家に幽霊が出るらしい。毎日誰かが触れてくる。実は死んでいるのは母子のほうで、生きた人間たちが彼らの霊と接触していたという内容である。当時身内を亡くしたばかりだっ たので母子が死んでいたことが自身に重なり、私自身が亡霊のように暮らしていたと気付いたのである。再び社会や他人に(深く)触れることは恐ろしく、以前のように暮らすことは不可能に思われた。『わたしたちの家』を観て再びこころがざわめいた。2つの全く別に暮らす住者が1軒の家に同時に存在するのだなとわかっていく。この2つの世界が、人が、事物が、音が、ひいては存在、時間、空間が“触れる”その時、観客はその衝撃に戦慄する。また、身近な人物についての不確かさ、家の持つ時間、事物の雄弁さ。映画でしか捉えようのないあらゆるものを内包した映画である。尚、お母さんがおぶわれているシーンが好きです。また、大内伸悟監督の『知らない町』(2013年)と共に私の幽霊3部作である。(綾)
1992年生まれ。東京都出身。黒沢清監督、諏訪敦彦監督に師事する。東京藝術大学大学院の修了制作として撮影した初長編作品『わたしたちの家』がぴあフィルムフェスティバル2017でグランプリを受賞、ベルリン国際映画祭、香港国際映画祭など海外からの招聘も相次いでいる。
批評家。HEADZ主宰。芸術文化の諸ジャンルを貫通する批評活動を行う。「新しい小説のために」「筒井康隆入門」「未知との遭遇」「あなたは今、この文章を読んでいる。」「批評時空間」「シチュエーションズ」「即興の解体/懐胎」「ニッポンの思想」など著書多数。HEADZで『わたしたちの家』配給を手掛ける。
※長尾理世氏、律子氏はトークにも参加。