第27回映画祭TAMA CINEMA FORUM
日清戦争の日清講和条約(下関条約)により日本に割譲された台湾は、太平洋戦争が終結する1945年まで新たな日本の領土とされました。当時の台湾には、多くの日本人が移住し、生活の基盤を築いていました。しかし、日本の敗戦により、人々は日本へ強制送還されました。「湾生」とは、生前の台湾で生まれ育った日本人を指します。
日本の台湾統治時代に台湾で生まれて育った子供たちは「湾生」と呼ばれています。その幼かった「湾生」にもすでに長い年月が流れ、顔には深いしわが刻まれるようになりました。日本の敗戦により、台湾から離れることになりましたが、彼らの故郷は日本ではなく台湾だったのです。湾生の女性が語ります。「日本で生活し、親しい人に囲まれて生活していても、常に違和感があった。ある時、読んだ本のなかの言葉で自分が抱え続けたこの違和感の正体が分かった。私は日本人だけども、日本の社会では「異邦人」だった。」。彼らは、敗戦という大きな運命の流れのなかで、生まれ故郷の台湾から引き離されてしまったけれども、故郷というものは誰をも優しく迎え入れる場所なのかもしれません。台湾の風景のなかで流れる童謡「ふるさと」はとても胸に沁みます。(彰)
人口約1万5000の人びとが暮らす台東縣成功鎮。台湾の南東部に位置し、太平洋と山脈に囲まれたこの地域は、1932年の漁港竣工以降、日本人や漢民族系の人たちが多く移住し、漁業と農業の街が作られていった。「祈り」「命への感謝」「家族」を生活の中心に据え、まっすぐに生きる人びとの姿を描いていく。
酒井充子監督は、これまで日本と台湾の歴史を背景にした映画を製作されています。『台湾人生』『台湾アィデンティティー』といった作品では、日本統治時代を生きた台湾の人々について深く掘り下げ、日本では知られていない、日本と台湾の歴史的な題材が扱われていました。これらの作品は、我々日本人にとって非常に新鮮な驚きでした。日本語を流暢に話す台湾の老人たち。彼らが背負わされた運命の重さについて、考えさせられました。酒井充子監督は、かつて台湾を旅行中に出会った日本語で話しをした台湾の老人に出会ったことが縁となり、デビュー作の『台湾人生』を制作することになったと聞いたことがあります。
そして、最新作『台湾萬歳』は、台湾三部作の最終章です。前作と同様に現地の人々の生活に溶け込みながら、台湾の人々の過去と未来を鮮やかに切り取っています。この新作をご覧になられる方にとって、台湾の人々との新たな出会いになることを願っています。(彰)
1969年生まれ、山口県周南市出身。大学卒業後、メーカー勤務、新聞記者を経て2000年からドキュメンタリー映画、劇映画の制作、宣伝に関わる一方で台湾取材を開始する。台湾の日本語世代に取材した初監督作品『台湾人生』(09年公開)に続き、『空を拓く-建築家・郭茂林という男』(13年)、『台湾アイデンティティー』(13年)、『ふたつの祖国、ひとつの愛-イ・ジュンソプの妻-』(14年)を監督。著書に「台湾人生」(10年、文藝春秋)がある。