第27回映画祭TAMA CINEMA FORUM
写真を撮る、日記を書く、自転車を漕ぐ、海辺に佇む……。
中平卓馬の暮らす横浜の風景を織り交ぜ、その日常を穏やかに切り取った2004年公開のポートレートムービー。16年12月の公開では追加ショットを加える。
かつて、機関銃のようにシャッターを押し続けていたという中平卓馬の活躍していた時代を知らない。1977年に、急性アルコール中毒により多くの記憶を失うも、翌年沖縄で復帰を果たす。晩年を写真家のホンマタカシが追った映像、被写体になり、こちらを見つめている中平の眼は、何を撮っていたのだろうか。カメラになった男を撮ることで、ホンマはそこに何を見たのか。見る眼と見られる眼が重なった時に、投影が生まれる。投影は、心象風景とも呼ばれ、映画の専売特許だ。物語を好きなように投影して観れば、新たな物語が生まれる。物語が悪いわけではないけれど、映像には別の側面もある。
ニュードキュメンタリーとは、映像の自生性について、新たな試みを探る行為である。行為といえば、中平の日付、場所、行為が……冒頭からずっとこの映像には、写っていた。彼の心象風景である。追加ショットのホンマの愛とまなざし。きわめてよいふうけい=SHORT HOPE 。(前)
写真家ホンマタカシによる初の長編ドキュメンタリー。
2004年12月にスマトラ島沖地震の津波によって、甚大な被害を被ったホテルでおこなわれる10周年追悼式典までの1週間を追う。スリランカの建築家ジェフリー・バワの代表作Heritance Ahungalla Hotelを舞台に10年の時を経たひとつの出来事が、人々の記憶のなかでどのように変容し、立ち現れるか、静謐な映像で映し出す。
街であろうと、人であろうと、自然であろうと、カメラという機械の眼を通した静止画は「写真」以上でも以下でもない。(「挑発する写真史」タカザワケンジ・金村修著より引用)
だとしたら、写真家が映画を撮る行為は何を意味するのか。定点カメラで捉えた静止画の連なりなどは、拡張現実と見まがうほど、人々の無意識を意識化して見せていた。自分がその世界に入り込んでいるような日常の行為を映す鏡。そこには、スリランカの風のような、海のような、ただ気配だけがあった。(前)
2011年から12年にかけて、個展「ニュー・ドキュメンタリーを日本国内3ヵ所の美術館で開催。著書に「たのしい写真 よい子のための写真教室」(平凡社)、近年の作品集に16年イギリスの出版社「MACK」より刊行したカメラオブスキュラシリーズの作品集「THE NARCISSISTIC CITY」がある。昨年末から「ニュードキュメンタリー映画上映」として、これまでの映像作品を含めた4作品が全国の映画館、美術館などで巡回上映中。
1968年生まれ、前橋市出身。写真評論家、ライター。早稲田大学第一文学部卒。雑誌、写真集などに寄稿。著書に「挑発する写真史」(金村修との共著)、ヴァル・ウィリアムス著「Study of Photo」日本語版監修。東京造形大学ほかで非常謹講師を務める。