第29回映画祭TAMA CINEMA FORUM
祖母と暮らすため、東京から雪の降る地方の小学校に転校することになった小学生のユラ(佐藤)。そこはミッション系の学校で礼拝の習慣があったが、ユラは慣れないその習慣に戸惑いを覚えていた。そんなある時、お祈りをするユラの目の前に小さなイエス様(チャド)が現れる。
幻想的な雪国のなか子供たち(と、イエス様)がのびのびと動き回るこの作品には、幼いころの私たちが確かに抱いていた「神様って本当にいるの?」という疑問や、主人公・ユラをはじめとする子供たちの繊細な感情の動きが映し出されている。私は本作品の鑑賞中、神様とかサンタクロースとかおばけとか、実存するのかわからない存在に思いを馳せたかつての自分を思い出し、懐かしい気持ちになった。
人は、なんらかの信仰があるからこそ毎日きちんと生きていけるのだと思う。それは誰かにとっては宗教であり、または家族や友人などの身近な人々である。あるいは仕事や芸術など、その対象は実に多種多様だ。そして不慣れな環境で生活を始めたユラにとって、イエス様は彼の心を支える重要な存在であった。『僕はイエス様が嫌い』というタイトルは、神の存在を信じられなくなるような出来事が起こっても祈ることをやめられないユラの心の叫びなのではないか。(バ)
火葬場で出会った中学生のヒカリ(二宮)、イシ(水野)、タケムラ(奥村)、イクコ(中島)の4人は、両親を亡くしても泣けなかった。彼らは心を取り戻すために、それぞれの家を巡り、バンドを結成する。ゴミ捨て場で撮影した映像が社会現象となり、一躍有名になる4人だが、思わぬ運命に巻き込まれる。
火葬場でヒカリは語る「ボクは泣いたことがない」。昭和の時代に井上陽水は中森明菜に「私は泣いたことがない」と歌わせた。長久監督の描く令和のキッズのセリフにはいったいどのような意味が込められているのだろう。
「エモいって古っ!ダサッ」。エモが古いと言われる今、両親を亡くした子供は何になるのか。感情を亡くしたまま、斎場で動き出し、リトルゾンビーズになるのだろうか。旧約聖書のヨブ記では、自分の子供を神にささげたヨブが信仰を試され煉獄をめぐる。自分の両親が天に昇るのを見届けたリトルゾンビーズは懐かしの8ビットRPGに擬した現世をめぐる。何を求めて?現世には「おお、死んでしまうとは何事だ!」と言って復活させてくれる王様も、戦う前に「世界の半分を分けてやろう」と持ち掛けてくるラスボスもいない。草むらから飛び出てくるピカチュウもいない。いるのはせいぜい誰かをはめようと考えて無責任にネットで騒ぐ浮世雀くらい。
だけど、エモって本当にもう古いのかな。それって自然なのかな。(友)
1984年生まれ、東京都出身。広告代理店にてCMプランナーとして働く傍ら、映画、MVなどを監督。2017年、脚本・監督を務めた『そうして私たちはプールに金魚を、』が第33回サンダンス映画祭ショートフィルム部門にて日本人史上初めてグランプリを受賞。そして本年、第35回サンダンス映画祭審査員特別賞を受賞した長編映画デビュー作『WE ARE LITTLE ZOMBIES』を6月に公開。第32回東京国際映画祭のJapan Nowのプログラムに選出されるなど国内外の注目を集めている。
1996年生まれ、東京都出身。青山学院大学卒業。在学中に監督した短編映画『Tokyo 2001/10/21 22:32 ~ 22:41』(2018年、主演:大竹しのぶ)が第23回釜山国際映画祭に出品。監督・脚本・撮影・編集を行った初長編作品『僕はイエス様が嫌い』(19年)がサンセバスチャン国際映画祭において最優秀新人監督賞を史上最年少で受賞すると共にストックホルム国際映画祭・ダブリン国際映画祭で最優秀撮影賞を受賞する。