第32回映画祭TAMA CINEMA FORUM
多摩市立永山公民館(ベルブ永山)
多摩市立関戸公民館(ヴィータコミューネ)
美術館での仕事を辞めてカフェでのアルバイトを始めた沙知(荒木)は常連客から勧められたアパートの部屋に引越しをする。そこでの新しい生活を始めた沙知だったが、心にはもう会うことの叶わないパートナーの姿が残っている。
映画やドラマを見ると、生活音や、風の音、水の音が気になる。本作の冒頭、カフェで向き合うふたりの女性が窓辺から桜満開の川を見下ろしながら、ガラスのカップをソーサーに置くときの音が好きだ。主人公の沙知は、多くを語らないが、所作や目線、わずかな会話や表情から、彼女の強さや、なにかをそっと心にしまっているのだろうな、ということが伝わる。そして、沙知は寂しそうな表情をしながらも、よく笑う。なんて豊かな映画なのだろうと思う。そう思った瞬間に、気が付いたらポロポロと泣いていた。沙知は、自分の感覚を無視せず、大切なものを心にそっとしまいながら、食べて、寝て、そこで生きている。心配して、一緒にごはんを食べてくれる人がいる。
通勤しながら読む本、コーヒーの匂い、忘れられない景色。忘れたくない思い出。ひとつひとつをもっとゆっくり楽しみたいのに、大切にしたいのに、毎日はそれらを置き去りにしてあわただしく進んでいく。『春原さんのうた』を観ながら、ほんの2時間、そんな自分にとって大切なものに想いを馳せた。立ち止まってもいい、そう言われている気がして。(な)
『ひとつの歌』(2011年)、『ひかりの歌』(17年)がそれぞれ東京国際映画祭などへの出品を経て劇場公開。『春原さんのうた』(21年)が第32回マルセイユ国際映画祭にてグランプリを含む3冠を獲得、第70回マンハイム=ハイデルベルク国際映画祭ではライナー・ヴェルナー・ファスビンダー賞特別賞を受賞し、22年に劇場公開。23年にはフランスで公開予定。長編4作目となる『Following the Sound(英題)』を現在制作中。
歌人、作家。1996年第7回歌壇賞、2016年小説「いとの森の家」で第31回坪田譲治文学賞受賞。歌集「春原さんのリコーダー」「青卵」、小説「とりつくしま」「階段にパレット」、歌書「短歌の詰め合わせ」「短歌の時間」、エッセイ集「千年ごはん」「愛のうた」、穂村弘との共著「短歌遠足帖」、絵本「あめ ぽぽぽ」(絵・木内達朗)「わたしのマントはぼうしつき」(絵・町田尚子)など。最新刊はエッセイ集「一緒に生きる」。「東京新聞」選歌欄選者。
北海道出身。舞台出演作品に、FUKAIPRODUCE羽衣「愛死に」、毛皮族「Gardenでは目を閉じて」、彩の国さいたま芸術劇場「導かれるように間違う」、スペースノットブランク「再生数」など。2021年、「KYOTO CHOREOGRAPHY AWARD 2020」で上演された「バランス」にてベストダンサー賞を受賞。また同年、『春原さんのうた』(監督:杉田協士)にて第32回マルセイユ国際映画祭で俳優賞を受賞。