第26回映画祭TAMA CINEMA FORUM
人生に行き詰まりをおぼえる洞口(井浦)は、あることをきっかけに大学を卒業して以来会っていなかった大川(窪塚)のもとへ会いに行く。そして、彼らは大川の同棲相手の楓(倉科)と洞口の昔の恋人で同級生の京子(市川)を誘ってドライブに行くことになる。スキヤキ鍋を持って。
前田監督が主宰する五反田団の本拠地「アトリエヘリコプター」は五反田駅から徒歩15分(7分ではない)くらいのところにある。余談だが「アトリエヘリコプター」は数年前に相続税の問題で存続が危うくなったらしいが、無事に乗り切ったようだ。五反田団の特徴は、劇的なセリフではなく日常的な会話、それは聞き返しや、言い間違い、倒置法、微妙な間などから構成されており、本作品でもその特徴は良く表れている。物語は決してドラマチックでもないし、彼ら二人が疎遠となるきっかけになった人物のことも明確に語られることはないが、独特の余韻を残す。
出演は『ピンポン』での共演が印象的な井浦新と窪塚洋介に、『シン・ゴジラ』で話題になった市川実日子に進境著しい倉科カナ。更に五反田団の舞台に良く出演している小劇場界のスター(!)たちが加わっている。ちなみに五反田団が毎年正月に行っている「新春工場見学会」はとてもおもしろいのでおススメです。チケットは取りづらいけど。(よ)
毎日が死ぬほど退屈でつまらない果子(二階堂)は、ここではないどこかに行きたいと思いながらも、代わり映えしない毎日を送っていた。ある日、死んだはずの伯母・未来子(小泉)が突然現れ、何かに追われているらしく匿ってほしいと言う。果子は未来子に反発し苛立つが、彼女の振る舞いや言葉に触れるうちに生き生きとした世界を見るようになる。そして未来子は果子に本当の母親は自分だと話すが……。
終始ふきげんな果子、前科持ちの未来子、生意気な子ども・カナ(山田)、動かない赤ん坊、どこか違和感が拭えない家族。それぞれの登場人物が織り成すこの物語には、夏の空気が満ちている。どことなく気だるげで緩やかに流れる日々はまさに、“たかが夏の冒険”。そう、これは冒険なのだ。
同じことを繰り返すだけの毎日が嫌、でもここではないどこかへ逃げ出すこともできない。そんななかに刺激を求める果子の姿に共感する人は、きっと多いはず。「何かいいことないかな」「面白いことが起こればいいのに」そう思ったことがある人は必見である。
何といっても台詞がいい。絶妙な間で淡々と語られる台詞たちは、心の隙間にじんわりと染み込んでくる。染み込んでくるからこそ、後引く余韻に存分に浸りたくなる映画だと思う。観終わった後、チェックのワンピースが着たくなる。(志)
1977年生まれ、東京都出身。劇作家、演出家、小説家、俳優、監督。2008年「生きてるものはいないのか」で第52回岸田國士戯曲賞を、09年小説「夏の水の半魚人」にて第22回三島由紀夫賞を、15年TVドラマ「徒歩7分」で向田邦子賞を受賞するなど多方面で才能を発揮。映画作品では『生きてるものはいないのか』(11年、原作・脚本)、『大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇』(11年、脚本)、『横道世之介』(12年、脚本)などがあり、監督作品として『ジ、エクストリーム、スキヤキ』(13年)、『ふきげんな過去』(16年)がある。
東京都出身。ムーンライダーズのキーボディスト。PSY・S、パール兄弟、プリンセス・プリンセス、野田幹子らアーティストのプロデュースや、「SDガンダム」「イヴの時間」などの映画・アニメ音楽も数多手掛ける。現在は自身の音楽レーベルvalb labelを主催するほか、ソロ関連ユニットとしてUKULENICA、ya-to-i、CTO LAB.などが稼働中。本年は、5年ぶりのソロアルバム「Tの肖像」をリリース。またCM作家としても、ソニープレイステーションの起動音、ドコモダケなど数多く手掛けている。前田司郎監督作品は『ジ、エクストリーム、スキヤキ』(2013年)、『ふきげんな過去』(16年)の両作品を手掛けている。
1968年生まれ、熊本県出身。ライター。音楽誌、カルチャー誌への原稿執筆、インタビューを中心に活動。著書に「20世紀グレーテスト・ヒッツ」(音楽出版社)、「音楽マンガガイドブック」(編著、DU BOOKS)、テリー・サザーン「レッド・ダート・マリファナ」(翻訳、国書刊行会)がある。朝妻一郎「ヒットこそすべて~オール・アバウト・ミュージック・ビジネス」(白夜書房)など書籍編集も行う。