第26回映画祭TAMA CINEMA FORUM
1969年、多感な高校生の響子(成海)は友人たちとともに学園闘争を行っていた。初めて訪れたバロック喫茶「無伴奏」で響子は偶然に渉(池松)、祐之介(斎藤)、エマ(遠藤)と出会う。響子は渉に興味を抱き、逢うたびに惹かれていった。時に嫉妬や不安に駆られ、それでも熱い想いを傾けていくが、いつしか見えない糸が絡み始め……。
ある音楽を聴くと、過去の記憶やその時見た景色や匂いまでよみがえることが誰にでもあるのではないだろうか。
この映画のなかで流れるパッヘルベルのカノンは重要な役割を担っている。最初に流れる時と最後とではあまりに違う感じ方となり、まるで主人公の響子とともに二度とない青春の日々を過ごし、もう戻れないところにたどり着いてしまったような気持ちになる。
舞台となっているのは学生運動が盛んな時代の仙台。原作者である小池真理子の高校時代の記録でもある。今となっては遠い歴史の1ページのような出来事だが、登場人物たちの息づかいが聞こえてくるようなこの映画ではノスタルジックな風景として描かれていない。ゆえに、今の若者たちとそんなに隔たりがあるとは思えなかった。彼らも時代に流され、情熱を持て余し、闘争に参加することで漠然とした不安から逃れようとしていたのだろう。
響子の内面を成長させたのも、学生運動でなく恋愛だった。胸が締め付けられるラストシーンではかけがえのない時間が想起される。(黒)
大学院生の珠(門脇)は同棲中の恋人の卓也(菅田)と穏やかに日々を過ごしていた。修士論文の題材に教授の篠原(リリー)から哲学的な「理由なき尾行」を勧められ、近所に住むサラリーマン石坂(長谷川)の尾行を始める。珠は他人の生活を追うことで経験のない胸の高鳴りを感じ、のめりこんでいく……。
尾行するという行為はなかなか身近では聞かない話題かもしれない。そもそも「尾行」という言葉にいいイメージはなく、「理由なき尾行」とは本作に出会うまで聞いたことすらなかった。
珠は哲学的な論文のために尾行を始め、隣人、恋人、教授との関係や歩みが少しずつ変わっていくほどに深くはまってしまう。他人の生活を客観的に覗き見ることは、同じ時を過ごすことでもあり、対象者の人生を分け与えられ経験しているともとれる。
珠のような危うさと興味への追求はどこかわかるところがあるだろう。実際よいことではない、危険だとわかっていても、踏み出してしまえばその足は止まらない。自分の身に何か起きるまでは問題がないと思ってしまうものだ。
作品を観て「理由なき尾行」をしてみたいと思ってしまった。顔見知りでもない、街中でふらっとターゲットを決めて、他人の生活を見ながら自分と重ね合わせてみたい。他者から自分を感じてみたい。(葉)
山梨県出身。日本大学芸術学部映画学科在学中に、『風たちの午後』(80年)で監督デビュー。2作目の『三月のライオン』(92年)はベルリン国際映画祭ほか世界各国の映画祭で上映され、ベルギー王室主催ルイス・ブニュエルの「黄金時代」賞を受賞するなど、国際的に高い評価を得た。95年、文化庁芸術家海外研修員として渡英し、ロンドンを舞台にした『花を摘む少女 虫を殺す少女』を監督。そのほか監督作品に、『ストロベリーショートケイクス』(2006年)、『スイートリトルライズ』(10年)、『不倫純愛』(11年)、『1+1=1 1』(12年)、『太陽の坐る場所』(14年)、『××× KISS KISS KISS』(15年)などがある。