第34回映画祭TAMA CINEMA FORUM
永山公民館(多摩市公民館)
関戸公民館(多摩市公民館)
パルテノン多摩総合案内窓口
連絡を受けた卓(森山)は妻の夕希(真木)と共に久々に九州の父の陽二(藤竜也)のもとを訪ねると、父は認知症で別人のようであり、父が再婚した直美(原)は行方不明になっていた。卓は、父と義母の生活を調べ始めるが――。
父と義母の間に何があったのか? すべての謎が紐解かれた時、大海のような人生の深みに心が揺さぶられる、サスペンス・ヒューマンドラマ。
民家に近づく警察の特殊部隊と中から出てくる老いた父親、イヨネスコの戯曲「瀕死の王」の舞台打ち合わせをしている息子。関わりが稀になった両者が、父の認知症をきっかけに近づき、重なり合っていく。
父親はエリートのプライドと培ってきた教養で、衰える認識を補おうとするが抗いきれず、息子にとっての忌避すべき存在から離れていく。一緒に暮らしていたはずの再婚相手の姿もなく、その二つの「不在」の謎を解こうとする息子の現在と何があったかを描く過去がかわるがわる示されていく。このテンポと映画のスタート時点に戻っていく円環構造の鮮やかさが一つの魅力だ。
また、藤竜也の演技が筆舌に尽くしがたいほど輝いているが、それに淡々と対峙しようとする息子の森山未來、愛する相手として寄り添い、やむなく離れていく妻を演じる原日出子の芝居もまた熱を発していた。間違いなく今観るべき一本である。(理)
香川杏(河合)は売春や麻薬の常習犯で、ホステスの母親と祖母と3人で暮らしている。幼いころから母親に殴られて育った杏は、小学生から不登校となり、12歳の時に体を売った。そんなある日、刑事の多々羅(佐藤)やジャーナリストの桐野(稲垣)との出会いをきっかけに少しずつその生活が変わり始める。しかし、突然のコロナ禍によって3人の運命は大きく変わっていく……
『あんのこと』には、欲望に囚われて身動き出来ない大人が描かれている。自分本位の卑しい欲望である。それは、人としての弱さの表れであるのでしょう。暴力で娘を支配する母親は、子どもを「ママ」と呼び、現実の社会と向き合えない母親の未熟さを隠そうともしない。あるいは、刑事という職業につき薬物依存者の更生という活動を続けながらも、更正者に性の対象として接近する男。
もし、その欲望を抑えることができれば、悲劇を止めることができるのだろうか? 欲望のままに身を委ねた結果、その先には、何があるのだろうか。「救われる命」と「救われない命」の間にはどんな違いがあるのだろうか?
この映画は、欲望のはてにある運命の過酷さを描くとともに、現在の課題としての貧困、ネグレスト、新型コロナウィルスについて扱うとても挑戦的な映画といえます。(彰)