第34回映画祭TAMA CINEMA FORUM
永山公民館(多摩市公民館)
関戸公民館(多摩市公民館)
遠距離恋愛中のマティ(G・ガーウィグ)とジェームズ(J・スワンバーグ)は数ヶ月ごとに互いの家のあるニューヨークとシカゴへ会いに行く生活を送っている。しかし徐々に二人の気持ちはすれ違ってしまう。1年後、ゲームデザイナーとして働くジェームズはニューヨークを訪れ、マティと再会を果たすのだが……。
部屋に入るのも待たずに愛し合うマティとジェームズ。そんな彼らに訪れる決定的変化。それは距離によって、あるいは時間によって生み出されたのかもしれないが、決定的な理由を付けることはできない。
マティは汗をかき、涙し、水を飲む。身体の水分が入れ替わっていくように、マティの気持ちが入れ替わっていく。それは植物にあげた水が溢れるのを止められないように避けることが出来ない。
変化の様を映画のカメラは表情に肉薄し捉える。映画後半に登場する作られた表情の二人の写真と、表情の変化に迫る映画のカメラの映像は対照的な存在のように映る。写真は二人に取り戻すことのできない愛と過去をむなしくも取り戻さんとする行為をもたらす。一方で映画のカメラは、同じ画面の中にいながら、まったく遠い場所にいる二人の存在を痛々しいほどはっきりと示す。わたしたちは彼らのように、今この瞬間にしか居続けることができない存在なのだと呆然と気づくほかにない。(弦)
駆け出しカメラマンのスーザン(M・メイロン)とその親友で詩人を志すアン(A・スキナー)はニューヨークでルームシェアをしながら夢を追う日々。しかしスーザンの仕事が軌道に乗ってきた矢先、アンは突然恋人との結婚をスーザンに打ち明ける。それぞれの道を歩み始めた二人。友情と夢の行く先とは……。
もじゃもじゃの髪に眼鏡をかけ、カメラとポートフォリオを手に、少し丸まった背中で、時に喜怒哀楽をあらわにニューヨークの街を歩くスーザン。彼女の逡巡はドキュメンタリー出身のクローディア・ウェイル監督がその姿を描いた1978年から46年の月日を経た今でも、わたしたちの経験と相似形を成すように感じられる。
監督の捉えたスーザンの悩みとは突き詰めれば自分という部屋に誰を招き、そして何を並べ置くのかということだ。彼女の部屋に居つくさまざまな人たちと、そのたびに変化する写真や家具や装飾。彼らと影響し合いながらも彼女は部屋という小宇宙の中で他者や街、そして社会と自らとの境界線を何度も引き直そうとする。そしてその試みは物語の後のスーザンたちにとっても、そしてこの映画を観た観客たちにとっても、日々の営みとして続いていくことなのだ。この映画の先見性とは、きわめて個人的に映る物語の中に普遍性を捉えたことにあるのではないだろうか。(弦)
コラムニスト。東京生まれ。15歳の時に「ビバ!私はメキシコの転校生」を上梓。主な著作に「優雅な読書が最高の復讐である」「映画の感傷」「ランジェリー・イン・シネマ」。共著に「ヤングアダルトU.S.A.」、翻訳書にサリー・ルーニー「カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ」「ノーマル・ピープル」など。
1995年生まれ、岡山県出身。DIVA。青山学院大学大学院文学研究科比較芸術学専攻修了。サントラ系アヴァンポップユニット「電影と少年CQ」のメンバー。2021年よりセルフプロデュースでのソロ活動「DIVA Project」を本格始動。でんぱ組.incやWEST.への作詞提供、コラム執筆や映画批評、TBS Podcast「Y2K新書」出演など、溢れるJ-POP歌姫愛と自由な審美眼で活躍の幅を広げている。24年9月には2ndアルバム「生まれ変わらないあなたを」を発表した。