第35回映画祭TAMA CINEMA FORUM
昆虫は地球へやって来た宇宙人だと信じている健太。カマを怪我した子どものカマキリを見つけてカマ太郎と名付けた健太は、治るまで大切に育ててあげていた。公園で出会った年上の女性・陽子に魅(ひ)かれた健太は得意な絵を見せたり、似顔絵を描いてプレゼントして気をひこうとする。そんなある日、大きく成長してカマも立派になったカマ太郎は、飼育ケースから旅立っていく。その夜、健太が寝ていると、育ててくれた感謝を伝えにカマ太郎がやってくる。健太と陽子、健太とカマ太郎の不思議な関係を描いた純粋な、たった数日間の物語。
「仕方がないから俺が主人公で出てやるよ」演技経験ゼロの健太の言葉をきっかけに、僕のなかの忘れそうになっていた“かさぶた”は、『宇宙のあいさつ』になっていった。健太の怪演、引っ張ってくれた俳優陣、恐ろしいほどピュアな健太の絵……。健太と喧嘩もしつつ、なんとかできたこの映画はとても大切なものになりました。
1979年生まれ、大阪府出身。現在、写真・映像のカメラマンとして活躍中(したい!)。2022年、初監督作品『JUMP ROPE BOY』が第1回おいしい映画祭でグランプリ・観客賞を受賞。以後もコンスタントに自主映画を多数制作。手で握ったおにぎりのように、人の感情がたくさん詰まった映画を撮りたい。
しりとり中年三兄弟、てつや・やすし・しゅうじ。新宿の路上で書道家の真似ごとをして投げ銭を集めている長男てつや。その姿を偶然見かけた三男しゅうじは、次男やすしが独り住む実家へと一緒に帰ることに。久しぶりに揃って食べる冷やし中華、お盆の墓参り、眠くなれば居間でゴロゴロしたり。集まれば楽しい、集まれば寂しい。そんな夏の日の家族の話。
少人数でも良作を!を胸にスタッフ2名で完成させました。熱量はひとりで10人分です。主人公の、現状を打破出来ないでいるもどかしさを撮りたい、と同時に自身の記憶や思考を映像誌として残そうという発想から制作しました。後悔や感謝、漠然と何かに期待しているなど。皆さんの「うっすらずっと」はなんですか。
1983年生まれ、千葉県出身。東京ビジュアルアーツ専門学校・映画学科卒業。その後、倉田プロモーションに8年間在籍し、アクションを学び多くの撮影現場に参加。退所後はCM、映画、テレビ等の制作業務を経験。現在は、体操教室のインストラクターをしながら映像の自主制作や、フリーのアクションコーディネーターなどとして活動中。興味のままにを活かし、生きていくを目標にしています。
2030年、AI人型ロボットが普及し、多くの人が職を失う中、AIになりすまして働く人間たちが現れていた。郊外にある大きな洋館も「AIコンシェルジュ付き物件」として販売されていたが、実は全員がAIになりすました人間だった。何も知らずに求人広告を見てやってきた主人公・ひろこは、成り行きでAIのふりをして働くことに。ある日、大富豪が内見に訪れ、体験宿泊をすることになるが、とある出来事から人間であることがバレそうになる。果たしてひろこたちの行く末は? 最後までAIになりすますことができるのか?
ミュージカル仲間と「ショーマストゴーオン」な物語を作りたい! と思ったのが始まりでしたが、製作中、かつて自分が“それっぽい誰か”になりすまし、居場所を探していたことを思い出しました。なりすまさずも、こうして一緒にものづくりができる仲間に出会えたことが、ただただ嬉しい。あははと楽しんでもらえたら幸いです。
1984年生まれ、宮城県出身。幼少期から歌と舞踊に触れ、ミュージカルを中心に出演し、近年は舞台「千と千尋の神隠し」や大人計画の松尾スズキ演出作品などに出演。コロナ禍を機に映像制作をはじめ、初監督作品『ヒューマンエラー』は国内外で多数の映画祭で入選し、ミラーライアーフィルムズシーズン7に選出。2作品目の『さんぽ道』はショートショートフィルムフェスティバル&アジアでホッピーハッピーアワードを受賞。
自己分析の課題として日記を書くことになった学生たち。彼らは友人との日々や淡い恋心を思い思いに綴るが、一人の学生、佐藤瑛太だけは課題を進められずにいた。劇団サークルの本番を前に、友人の宮城奏瑠から言われた一言をきっかけに、瑛太の心は不安定になっていく。本番ではミスをし、課題は出せないまま、教授からは問いただされてしまう。ある夜、“変身”が止まらなくなった瑛太は走りはじめる……。純粋で繊細な学生たちの日々をエキセントリックに描いた青春群像劇。
学生時代、他者と関わるなかで自分が変化していることに気づく瞬間がありました。状況や相手に合わせて無意識にふるまいを変え、何が本当の自分なのか曖昧になる、その違和感を形にしたいと思ったことが、本作の出発点です。この映画が、自分自身の在り方に戸惑う誰かをそっと肯定するような作品になればと願っています。
1997年生まれ、東京都出身。中学時代から演劇部に所属。高校演劇では演者を続けつつ、地区大会作品では脚本/演出を務める。立教大学 映像身体学科に入学、徐々に演劇から映像へと表現の場を移していき、MVやCG映像の制作に注力。篠崎誠監督のゼミで映画について学び、映画『優しいらしい。僕は、』にて長編初監督。